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文化・芸術 Feed

2012年12月23日 (日)

しまひとみの映画鑑賞1「きっと忘れない」

“With Honors” 邦題「きっと忘れない」

He graduated with honors. モンティ・ケスラーは「優」でハーバードを卒業した。

指導教授にもらう「優等賞」ではなく、人生の師匠サイモンから贈られた「人としての優等証書」を胸に抱いて。

優等生として卒業し、良い地位を占め、社会にも貢献したいと考えるモンティ。

しかし思わぬ形でのサイモンとの出会いにより、彼に導かれつつ、共に卒論の制作に励む過程を通じて、心の声に従い、何が真実か自分の目と耳で見極めながら生きることの大切さを身を以て学ぶことになる。

人間とは何か? 人間であることの「真の証し」は何処に存するのか?  という問いに見事に答えた傑作だと思う。

タイトルを「誇りをもって」とする映画評も見られるが、その方が全然よい。

サイモンはハーバードの構内に棲みついたホームレスだが、決してただの物もらいではない。彼がもつ人としての矜持がモンティにも次第に乗り移ってゆく様は、「教育」という営為そのものを象徴的に暗示している。

ひとみが最近見た一本。中古DVD 送料込みで ¥790

映画に限らず、このような素晴らしい作品と数多く出会って心を養い、寛容で慈悲深く、豊かで温かい内面性を培った人のことを美しい魂の持ち主、真に教養ある人というのだとシマフクロウの縞爺は申しております。 なにせ梟言葉なもので翻訳者が必要であります。 翻訳はわたくし  しまひとみ が、あいつとめます。

 

☆しまひとみの映画鑑賞2 「コーリャ 愛のプラハ」☆ 

☆しまひとみの映画鑑賞3 「アメリ」☆

 

12/06/13(1st)

好きな絵 1 高塚省吾 パステル画

  

   

高塚省吾 パステル画1

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高塚省吾 パステル画2

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出典

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高塚省吾

   

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高塚省吾「夢のあとに」

      

    

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2000年12月「夢のあとに」

     

   

毎年暮れになると、書店に並ぶ高塚省吾画伯の

卓上カレンダーを手に取る楽しみがありました。

  

   

好きな絵2 加山又造「猫」

好きな絵3 青木繁「輪転」

好きな絵4 国吉康雄「馬を選ぶ」

12/07/04(1st)

 

好きな絵 2 加山又造「猫」

 

我が家の玄関には 加山又造「猫」 のレプリカがあります。

箱根への家族旅行の際に立ち寄った成川美術館で観た

絵に惹かれて買い求めました。

 

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成川美術館 アートコラム 加山又造「猫」

 

    

オリジナルです

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この絵が目に入るたびに愛猫のメリーを思い出します。

 

 

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加山又造の絵は、猫のシリーズ以外にも裸婦や桜、

竜などの屏風絵もあり、家族全員のお気に入りでし

た。1995年、宇奈月温泉旅行の際にも、富山の近

代美術館で思いがけず大規模な加山又造展に出遭

い、小躍りして喜んだ思い出があります。

 

シールポイントのシャムネコのメリーがうちの家族に

なって13年目、メリーは母の布団の中で、息を

引き取りました。それから24年後の今年3月16日、

その母も遠くの人になりました。

 

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高知の牧野植物園で

 

 

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倉敷チボリ公園で

 

 

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玄関の絵がもう一枚増えました。

 

 

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プラハ旅行の記念です。

 

 

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      美しい 島 母の眠る 霊園からの 眺めです

 

 

2016/11/5 小春日和の 土曜日に

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 バスと  電車を  乗り継いで  約 1時間で  到着

 

 

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          在りし日の母 と 26年前の父

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  父の故郷 仙台へ 家族旅行 青葉城にて

 

 

   しまひとみ 猫 猫は猫でも カモメの ウミネコ 

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 エーゲ海の 海猫 Photo_2 島ひとみ  おはのう  海猫

 

猫のふりをする 道産子 可愛いです

 

 

好きな絵1 高塚省吾「パステル画」

好きな絵3 青木繁「輪転」

好きな絵4 国吉康雄「馬を選ぶ」

 

12/06/20(1st)

 

 

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しまひとみの 好きな詩 1 「みえない樹」

 

パピルスに印刷された「生命の樹」

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みえない樹

 

わたしのなかの 一本の樹

いつからか めばえてのびた 名まえのない樹よ

わたしのなかで 葉むらそよがせ きょうも 立っている樹よ

みえない もうひとりの わたしよ

 

そむかれて たったひとりだとおもった あの日

もどかしく わたしのことばが くちごもり 

だれにもつたわらなかった あの日

わけもない いらだちが わたしをさしつらぬいた あの日

わたしはみた わたしはきづいた おまえが立っていることに

 

そのきずの そこここに 

なおも芽ぶいて そらをさす

まっすぐなうた

 

わたしのなかの 一本の樹

葉むらを ゆめと そよがせて

かぼそいこずえ ふるわせて あたらしく きょうも のびる

みえないものよ のびるがいい

 

わたしのなかの 一本の樹よ

樹のかたちした わたしのこころよ

かぜの 告げる とおいことばを きくために

あの はるけさを 知るために

 

伊 藤  詩

     

詩人 元 NHK 専属作家

 「言葉と音楽のための三つの形象」    

     1958年   イタリア賞    受賞

 

            

◇「黒い絵画」レオノール・フィニの作品による

   秋山 邦晴 ・ 詩 / 武満 徹 ・ 曲

 

◇「不死鳥」マリノ・マリニの作品による

   岩田 宏 ・ 詩 / 林 光 ・ 曲

 

「忘れていた人生」 ジョルジョ・デ・キリコの作品による

   伊藤 海彦 ・ 詩 / 入野 義朗 ・ 曲

 

   

     

  Nコン Juke Box 第44回 昭和52年度 高等学校の部

  高松第一高等学校演奏  music

  プリント楽譜「みえない樹」

  2012/06/15(1st)

 

 

         ficus benjamina

 

2017/9/1

201791

     きょうの ベンジャミナ  2017/9/1

 

 

2015/12/14

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    きょうの ベンジャミナ  2015/12/14

 

 

2013/9/23

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到着  翌日の  ベンジャミナ  2013/9/23

 

 

 

しまひとみの 好きな 詩  伊藤

 

「島よ」

島よ Ⅰ 島よ Ⅱ 島よ Ⅲ 島よ Ⅳ 島よ ⅤⅥ

 

島は感じる 島は濡れ 孕み

島は鮮やかに生きはじめる

島よ おまえは私ではないのか

私ではないのか 島よ

 

 

 

好きな絵 3 青木 繁「輪転」

 

青木繁の故郷  久留米の 石橋美術館 には

代表作の「海の幸」や「わだつみのいろこの宮」の他に

「輪転」も展示されていました。

石橋美術館は、ブリヂストン美術館の姉妹館のような存在で

石橋正二郎の日本画コレクションが所蔵されていました。

 

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青木繁「輪転」(1903)

 

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青木繁「海の幸」(1904)

 

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青木繁「わだつみのいろこの宮」(1907)

 

出典

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青木繁

 

好きな絵1 高塚省吾「パステル画」

好きな絵2 加山又造「猫」

好きな絵4 国吉康雄「馬を選ぶ」

2012/07/04(1st) 2017/07/23  updated 

 

しまひとみの 好きな詩 2            「地球の子ども」「牧場のポプラ」

 

「地球の子ども」

あしたの ゆめに ふくらむ いきもののほし ちきゅう

ここには イヌが すむ サルがすむ

ハトと メダカと チョウチョウも

にんげんを にいさんにして 

ああ みんな ちきゅうの こども

たいようの こども

うちゅうの こども

はっぱのはたが かがやく いきもののほし ちきゅう

ここには タケがある マツがある

ムギと アンズと タンポポも

にんげんを ねえさんにして

ああ みんな ちきゅうの こども

たいようの こども

うちゅうの こども

 

まど・みちお   詩

 

  Nコン Juke Box 第38回 昭和46年度 小学校の部

  札幌市立創成小学校演奏  music

  プリント楽譜「地球の子ども」

 

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    創成小学校 札幌オリンピックの記念に

 

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           2004年 閉校した創成小学校

 

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           札幌市の 創成川

 

「牧場のポプラ」  music

丘の牧場の せいのびポプラに

虹がかかったよ

ポプラはうれしい

ポプラはうたう

るるる ららら ららら るるる

みどりのそよかぜよんで

 

青戸かいち  詩  ※ 1番のみ

 

ひとみさんも小学校で歌いましたか?

Nコン 1971年度 全国「最優秀校」に選ばれた

札幌市立創成小学校の自由曲でした。

縞爺は、創成小の演奏を1度聴いたきりで覚えました。

「裏の牧場の せいたかポプラ」だと思っていたのですが、

楽譜を取り寄せて調べてみると

「丘の牧場の せいのびポプラ」でした。

 

この曲の楽譜は

「少年の日はいま」音楽之友社(1987) 所収

12/07/04(1st)

 

レクイエム 1 音楽か 哲学か                           ヴァイオリンを捨てた ギリシア哲学研究者

 

青春時代、ヴァイオリンか哲学かの選択で懊悩し、結局哲学の方を選んだひとりの研究者が昨年暮れに亡くなっていた。

縁あって、その方も所属する大学の研究室に嘱託の研究員として2年間在籍し、短い間ではあったが親しく接する機会を得たことに、いま改めて感謝したい。

学報のバックナンバーの「音楽と私」と題する短いエッセイに目が留まり、ざっくばらんに質問してみたことがあった。ヴァイオリニストにもハイフェッツにシゲティ、フランチェスカッティといろいろなタイプがありますが、先生はどのような演奏家がお好きですかと。

かえってきた答えは意外にもダヴィッド・オイストラフだった。柔らかな物腰、垢抜けした容貌と人間としての気品などから、フランチェスカッティ辺りの名が挙がるものと思っていた。「オイストラフは、息子のイーゴリもいますが、私は父親のダヴィッドの方が好きです」と答えられたにこやかな笑顔が今も脳裏に焼き付く。ただただ懐かしくもう一度お会いしたい。

 

任期満了の別れ際。先生は、月愛三昧揮毫して下さった。縞爺しまひとみ母校に戻って研究を続けた後、文部教官に就任。霞が関でも一時期、審議会の健全育成、文化財、有害情報対策等に従事した。

※ 2017年12月16日の 七回忌 前に追記。

 

  

M先生(1935.8.6 - 2011.12.16)

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M先生の水茎 (1993年8月22日消印)

 

 

   先生! 9月に ギリシアへ  行ってきました。 

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アカデミーソクラテスプラトン像(2012.9.26)

 

 

          古代アゴラ「ソクラテスもここに」            

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     古代アゴラ  アクロポリス  パルテノン神殿

 

 

  オリーブと 松の葉の 橋が 架かって いました。

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    ソクラテスの 活躍した 古代アゴラ(2012.9.29)

 

 

2012年12月16日の 一周忌に 更新

2017年12月16日  七回忌

 

 

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好きな店 3 神田神保町の「洋食屋」

 

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神田神保町の洋食屋 ランチョン  

ランチョンという店名は

英語で「ちょっと気取ったランチ」という意味。

初代の治彦さんが

駿河台下の一角で開業した1909年(明治42年)頃

近所に同業者がいないので

名前がなくても神田の「洋食屋」で通っていたとのこと。

そのうちに常連さんで上野の音楽学校関係者に

「名前が無いのは不便だ!ランチョンと呼ぶのはどうだ!」と

強引にも横文字で名づけられ

治彦さんは ただもう何語かも解らぬまま

ありがたく頂戴したのだそうです。

 

戦前・戦中、青山の旧華族、梨本宮邸傍に下宿し

東横線でジャイロコンパスを製造する会社勤めをしていた父は

給料日、恭しく後ろに立つボーイさんの給仕を受けながら

カレーライスを 食したのだとか。

緊張の冷や汗をかきながら。

普通、カレーライス 十銭 の時代、スープ付きで何と一円!

 

ハチ公にパンを与えたという自慢話のついでに必ず口にする話題です。

 

時は移ろい

私は カツサンド を黒ビールと一緒に頂きました。

 

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奥の絵には父親の治彦さんの姿も

   

 

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李白の詩にも

一杯  一杯 復一杯  というのがあります。

Wenn das Bier eingeht,  geht der Mund auf.

大ジョッキのビールがだんだんと減って行き

1リットル入る マース という特大の器がちょうど空になるころ

人々はみな上機嫌で盛り上がり

口数も増え、話も相当はずんでいることでしょう。

 

ドイツには陶器や金属でできた蓋付き大ジョッキで

ビールを飲む習慣がありました。

 

現在の代表的ランチョンメニュー

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オレンジページムック「おいしい東京」所収

 

旨い黒ビールの味を覚えたら、

日本で普通にビールと言われている

ピルスナーを飲みたいと思わなくなりました。

 

実は、このピルスナーの故郷はチェコなのですが、

そのチェコのプラハでも、

黒ビール1種類のみで商売している店があります。

 

来週、その黒ビールを飲みにプラハに行きます。

日本のビールはアルコール度数5%と低めですが、

ウ フレク の黒ビールは13%、ジョッキは0.4L 1種類のみ。

2杯飲みたいところですが、

目が回るといけないので、昼と夜、1杯ずつにします。

1杯 59コルナ、約 240円です。

(13%はアルコール濃度ではなく、発酵前の麦汁濃度だった。

バリング度: 2013/06/26 追記)

 

石畳の迷宮のような小路を歩き、

のどが渇いたころ、

また ウ フレク に戻って1杯の黒ビールを頂く

それだけでも良い旅になりそうです。

 

チェコ語はできませんが、おそらく普通のチェコ人以上に

チェコの音楽が身についています。

スメタナ、ドボルザーク、ヤナーチェック

小学生の頃から聴きはじめました。

 

交響詩「わが祖国」と歌劇「売られた花嫁」

 

弦楽四重奏曲「アメリカ」、ピアノ五重奏曲、

第7・8・9番の交響曲

バイオリン協奏曲とチェロ協奏曲

「レクイエム」に「スターバト・マーテル」

 

「シンフォニエッタ」に「グラゴルミサ」

 

マーラーが故郷のチェコ・フィルを指揮して初演した

交響曲第7番なども、

一般には、難解で捉えどころがないように言われていますが、

私には、単純・素朴で美しいチェコの音楽に

世紀末ウィーンの香り付けが施された

一種のヌーベル・キュイジーヌのように思えてなりません。

 

プラハは美術史においても、

キュビズムの中心を成した街のひとつでした。

 

チェコ国歌はメロディーがことのほか美しく、

中間部では精神的にも鼓舞され、

チェコ国民でもないのに、

知らず知らず口ずさんでいることがあります。

 

ビロード革命直後のプラハの春では、

ハベル大統領夫妻も出席して、

アール・ヌーボーの市民会館、スメタナ・ホールで

スメタナの「わが祖国」が演奏されました。

タクトを取ったのは、亡命生活を終えて帰国した

ラファエル・クーベリックでした。

その後クーベリックは1996年8月11日、スイスで

亡くなり、父親のヤン・クーベリック、

美人画で有名な国民的画家のアルフォンス・ムハ

とともにチェコ建国の地、ヴィシェフラットの霊園で

静かに眠っています。

   

Photo 出典 

   

Photo_2 プラハ ヴィシェフラット墓地(2012/7/24)

       

Photo_2

スメタナ「わが祖国」  

   

   

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9

 

Photo

ウ フレク

 

無事帰国したら、旅行記をアップします。

12/07/16(1st)

   

しまひとみのプラハ旅行記
  

しまひとみの映画鑑賞2「コーリャ 愛のプラハ」

   

    

    

しまひとみの好きな店 4     

やきとりと 握り鮨の おし鳥 

札幌市 北区 北18 西5                

   

残念ながら 2012年11月末で 閉店

店主の 加藤嘉勝 さん が 80歳を越え

店の賃貸契約が切れるのを機に  閉店を決断とか

   

          

1992年8月の末

北大での 学会発表の際

北大に1番近い宿泊施設なので

無信仰 無宗教 ながら

北海道クリスチャンセンターに 宿泊

4泊のうち 3泊目に おし鳥で 夕食

   

           

マスターの おすすめ で

やきとりの 盛り合わせ と

生まぐろの握りを 頂きました

     

         

マスター 

元々は 函館で 大きな お鮨屋さんを 経営とか

やきとりと 握り鮨が 一緒に食べられる 理由 です             

カウンターに いくつか ランプが ありました

    

   

夕方のニュースは

東京佐川急便の 

故 金丸信氏への 5億円ヤミ献金事件  一色

「京都で 後輩数名が 佐川会長の孫の 家庭教師をしている」

この話題で 盛り上がりました

    

    

京都から来てたの

北大のOBかと思ったよ  

北海道なまりの マスターの言葉

   

よそ者の 一見さん と 思われてなかったのが 嬉しかった

ほくほくの 生まぐろ ほんと 美味しかった

       

Photo 出典不詳

  

札幌「おし鳥」追想 に目が留まり執筆 (2013/10/31)

 

  

しまひとみの映画鑑賞2 コーリャ愛のプラハ

 

主人公のロウカは元チェコフィルのチェロ奏者。弟の亡命でオーケストラを追われ、アルバイトの梯子演奏で細々と、しかし自由奔放に暮らしている。一流の演奏家を目指すなら、結婚すべきではないという父親の遺言に従い、55歳の現在まで多くの女性を相手に、その日暮らしながらも結構楽しい毎日のようだ。

   

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チェコフィルの本拠ルドルフィーヌム「芸術家の家」

ここにドヴォジャーク・ホールがある

 

プラハの別名は「百塔の街」。それくらい尖塔を伴う建物が多いのだが、ロウカ自身も「私の塔」と呼ぶプラハ城と聖ミクラーシュ教会の見えるアパートの最上階が彼のねぐらだ。そんなある日、友人に偽装結婚の話を持ちかけられ、溜まりに溜まった借金の返済と中古のトラバントの購入費用の足しに、一口乗っかることになった。

 

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聖ミクラーシュ教会 と プラハ城 そして ヴルタヴァ川

 

相手は自分の娘ほども年の離れた子連れのロシア美人。ドイツにいる実の夫を訪ねるためソ連を出国する苦肉の策だった。派手な結婚式と形ばかりの初夜を済ませて間もなく、彼女は5歳の息子コーリャを置き去りにして、恋しい夫のもとへと旅立ってしまう。母親の出奔とチェコで暮らす大伯母の急死により、コーリャの扶養義務が継父のロウカに生じるのだが、突然、降って湧いた事態にロウカは戸惑いを隠せない。

 

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プラハ城から 見た プラハ市街

     右上の ドームが 聖ミクラーシュ教会

 

当時冷戦下のプラハでは、ソ連との友好を確認しあう行事のひとつとして、両国国旗をアパートの窓に飾りつけるコンテストがあったようで、コーリャが「僕らのは美しい」と言えば、ロウカは「お前のパンツのように真っ赤だ」と応戦する。卵ひとつ食べさせるにも「お前の国の鶏が産んだ卵」だとか、ソ連の駐留軍を見つけては「お前の国の軍隊は居座るが、お前はさっさと帰る」とか、子ども相手に大人げないロウカである。

 

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カレル橋から 見た ヴルタヴァ川

 

コーリャはロウカが嫌い。ロウカにとってもコーリャは厄介者。横断歩道でコーリャの手を取ろうにも、にべもなく拒絶されてしまう。ところが風呂に入れ、食事をさせ、映画を見せ、外に連れ出し、結構、甲斐甲斐しく世話を焼いているうちに、いつしか「お父さん」と呼ばれ、強く手を握り締められるまでになるのだから驚きである。厄介払いのため、早々と福祉局に引き取りの申請書を提出してしまったものの、いざ引き取られる段になると、今では実の子のように思えるコーリャを連れて一目散に逃げ出すのだから、おかしくて笑ってしまう。

 

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市中から 見る プラハ城

 

実はこの人間関係の変容、間もなく訪れるであろう1989年のビロード革命の予兆であり、亡命中の名指揮者、ラファエル・クーベリックの帰郷とロウカ自身のオーケストラ復帰の伏線なのだが、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の第5曲「ターボル」と第6曲の「ブラニーク」の最も劇的な部分を効果的に用いて、無血革命の様子と二人の音楽家の復帰を重ね合わせながら、一気に大団円へと突き進んで行く終盤は実に圧巻である。

 

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プラハ城 正門 

  オバマ大統領も ここで 核廃絶を 宣言した

 

Img_0441_3半世紀近い社会主義体制の影響か、現在、チェコ人の半数以上が無宗教なのだという。プラハを歩いてみれば一目瞭然だが、街中、至る所に大小様々な教会や修道院が点在し、ここが神聖ローマ帝国の都として中欧における第2のローマであったことを思い知らされる。チェコ最古のビール酒房ウフレクは1499年の創業だが、建物自体は12世紀創立の修道院である。

 

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国民劇場 から 徒歩5分

 ここで 喉を潤して オペラへと 繰り出したの だろうか

 

韓国人が日本人を嫌うのと同様、チェコ人はドイツ人が嫌いだ。理由はドイツの大学史に関する書物の最初の1頁をめくってみれば、たちどころに明らかになる。そこには「ドイツ最古の大学はプラハのカレル大学である」と記されている。ハプスブルク家によるカトリックの支配は、神聖ローマ帝国の都プラハを形作り、スラブ民族のボヘミアにも及んだのである。プラハの旧市街広場には宗教改革者ヤン・フス像が設置されているが、この人こそルターに先立つこと百年、腐敗著しいカトリックに敢然と立ち向かい非業の死を遂げた人であった。ハプスブルク家が、ローマカトリックの権威を笠に着た神聖ローマ帝国(ナチスドイツはここから数えて3番目の帝国に当たる)の盟主として、スラブの人々にもドイツ語を強要したため、日常語としての母国語を奪われた人々が唯一使用を許されたマリオネットの舞台で反骨精神を培っていったのは周知のとおり。

 

旧市街の カレル大学 本部

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UNIVERSITAS CAROLINA

 

14世紀 1348年創設当時の 出窓

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この出窓の 真向かいに エステート劇場

 

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モーツァルト 自身の手で ドン・ジョバンニを 初演

 

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旧市街広場の ヤン・フス像

 
 
2012年7月23日(月)、プラハ旅行に旅立つ朝、NHKニュースで円が対ユーロ相場で11年8か月ぶりに高値を記録したことを伝えていた。11年秋には120円したユーロがこのところ100円を切る水準で推移していたので想定の範囲内ではあったが、実にグッド・タイミングだった。プラハ・ルズィニエ空港とホテル間の送迎をプラハ・エアポート・トランスファーという業者に事前に依頼し、日本円で支払う契約を交わしていたのだが、遠く離れたヨーロッパの地で、いざ日本の紙幣を手渡す段になり、ソウルで日本円を使用した時と同様、ある種複雑な気持ちに襲われた。日本でも米軍基地のある街では普通に見られる光景なのだろうが。ほぼレートどおり、1コルナ=4円での請求だった。旧市街広場からカレル橋、カレル橋からプラハ城へと至る道すがら「ムッシュ!両替しませんか」と声をかけられ続けることになったのだが、これには閉口させられた。通貨も欲しがられるうちが華。国民の預貯金が国の借金としてほぼ全額食い潰されてしまった今日、いつ東電株と同じ運命を辿るかわかったものでない。

 

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カレル橋から 見た プラハ城

 

空港からホテルまで、とにかくSAMSUNGの広告が目についた。運転手も日本のはありませんと気の毒そうに言っていた。実際、5日の滞在で目にした日本は、地下鉄C線ヴィシェフラット駅のコングレス・センターのPanasonicの広告、どこか怪しげな1軒の寿司バー、レクサス他数台の車くらいのもの。幹線道路のディーゼル臭の物凄かったこと。夕暮れのヴルタヴァ河畔を中国と韓国の団体さんが何組か楽しげに散策。高度成長期、セーヌ河辺りでも同じような同胞の姿が見られたに相違あるまい。ホテルのTVチャンネルは20がNHKで21がCCTV。他にはドヴォジャーク・ホール向かいの8か国語表示の円柱広告塔の一番下に日本語で「プラハのイベントと文化」の表示が。私のように極東からでも丸1日かけてわざわざ見物に訪れたい街、実際、真夏でも真冬でも世界中から人々が集まってくる街、それがプラハ。

 

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地下鉄C線 ヴィシェフラット駅 を出ると

 

チェコ 英 独 仏 露 西 伊 日本の 各語 

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8か国語 プラハの イベントと 文化 広告塔

 

1990年、統一ドイツのケルン中央駅でのこと。当時、多く見られたトルコ人労働者の子どもたちがギブミー・マニーをしているのを目の当たりにした。今回も、地下鉄B線のムステック駅でベビーカーの若い母親に無心された。財布からコインを出して見せられ、この子のミルク代がないのだという。近くに駅員がいるのを承知で現地語で必死に訴えるので、演技かもしれないと思いつつ紙入れから10ユーロ出して渡した。目ざとくもう10ユーロあるのを見つけ、それも欲しいというので、拒否した。ビール酒房ウフレクの飲食代が10ユーロ分減ったまでのこと。ウフレクの一杯59コルナのビールはプラハでは最も高いらしい。それでもチェコ一と評判の名物の黒ビール、13度、0.4Lが日本円で240円ほど。長居しなければ、軽い食事をしても10ユーロ=250コルナ=1000円でおつりがくる。キノコとジャガイモのスープも59コルナ。ウフレクで注意すべきは、アニスなどの香草で作ったべへロフカを「食前酒」と称して配って歩くことだ。これはサービスのように見せかけた一種の押し売りである。美しい琥珀色の液体が小さいリキュールグラスで配られる。一杯79コルナ320円ほどだがビールより高い額が、しっかり勘定書きに追加されている。甘いけれど匂いはかなりきつい。口に合わない人も多いだろう。

 

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黒ビール ジャガイモのスープ べへロフカ

 

「コーリャ 愛のプラハ」はロウカとコーリャという異質で対立しあうもの同士が、言語、民族や文化、習慣や偏見を超えて、理解し愛し合えることを両者の心の変容を描くことで表現し、世界中の共感を呼び、アカデミー外国語賞はじめ主要な映画賞を総なめにした秀作である。

 

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モーツァルトの ベルトラムカ荘  動画

 

奇しくも今回の旅の締めくくりは、モーツァルトが何度も滞在し「ドン・ジョヴァンニ」を完成させたベルトラムカ荘だった。地下鉄B線のアンデル駅下車、徒歩で15分ほどのところに静かに佇んでいた。そこは市中の喧騒から隔てられて静謐に支配され、今にもモーツァルトが現れそうな雰囲気を醸し出していた。アンデル駅は地下鉄とトラムと市バスの乗り換え駅で、コーリャの撮影場所のひとつでもある。映画では、地下鉄B線に乗車中、ロウカは女性に、コーリャは仔犬に気を取られている間にはぐれてしまい、お互い右往左往しながらドラマチックに再会を果たした駅である。それは両者が強い絆で結ばれたことを再確認しあうシーンで、この映画の頂点をなすと言っても過言でない、それ程に感動的な場面だった。駅の出口は2か所、ロウカはバスターミナルのある正面へのエスカレーターから、コーリャはベルトラムカ荘方面へと向かう反対側のエスカレーターから上がってくる。そして「コーリャ」と呼びかけるロウカの大きな声を聴いて駆け出し、コンコースの真ん中どころで再会を果たした。ちなみに、撮影時、この駅は「モスクワ通り駅」と呼ばれ、赤い石板の壁にクレムリンの装飾が施されていた。現在はアンデル駅と改称され、写真のようにプラハとモスクワの名前が対をなし、かつての友好のシンボルとして残されている。

 

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この映画、かなり作為的なものの部類に属し、一つ間違えば相当嫌味なものになっていたのではないかと危惧されたのだが、冒頭より、美しい画と音楽が実にテンポよく絶妙に配され、自己中で子ども同然の大人として見られがちだった主人公ロウカの実像も徐々に明らかになっていき、彼のユーモア溢れる反骨精神が、綿々と続く他所者の支配者の圧政に耐え続けたチェコの一般民衆の生き様と重なり、奥深く味わい深い一本に仕上がったように思われる。繰り返しの鑑賞にも耐えられる飽きの来ない佳作。ひとみが自信をもってお薦めできる極上の一本。

「のだめカンタービレ」や「プラハの恋人」のオタクにも鑑賞させてみたいものだが如何だろうか。

 

 

しまひとみのプラハ旅行記(写真集&動画集)

2012年7月

 

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スメタナホールのある市民会館

 

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日没直後のヴルタヴァ川

 

2012年7月23日(月)午後9時  動画

 

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ヴルタヴァ川とプラハ城

 

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夕暮れのプラハ城

 

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旧市街のティーン教会

 

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漆黒の夜に浮かび上がるティーン教会

 

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ドン・ジョヴァンニ初演のエステート劇場

 

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エステート劇場

 

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チェコ建国の地ヴィシェフラット「高い城」

 

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ヴィシェフラットへ

 

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聖マルティン教会のロトゥンダ

  

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ヴィシェフラットの聖ペテル・聖パヴェル教会

 

2012年7月24日(火)午後1時 動画

 

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交響詩「わが祖国」のスメタナの墓碑

 

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ドヴォジャークの墓碑

 

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建国の王女リブシェとその夫プシェミスル

 

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伝説の勇女シャールカ像

 

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ヴィシェフラットからヴルタヴァを望む

 

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ヴィシェフラット 緑の絨毯

 

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ポストモダンのダンシングビル

 

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創業1499年のビール酒房 ウ フレク

 

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ウ フレクの時計

 

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黒ビールとグラーシュ・クネドリーキ添え

 

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ジャガイモとマッシュルームのスープ

 

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ウ フレクから徒歩5分の国民劇場  動画

 

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レギー橋とプラハ城

 

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市民会館内のカフェで

 

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カレル橋東詰の聖サルヴァートル教会

  

2012年7月25日(水)午後7時 動画

オルガンコンサートから

 

モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

バッハ「トッカータとフーガ BWV 565

シューベルト「アヴェ・マリア」

 

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カレル橋からヴルタヴァを望む

 

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プラハ城からプラハ市街を望む

 

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プラハ城大統領府と聖ヴィート大聖堂

 

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聖ヴィート大聖堂

 

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宗教改革者 ヤン・フス 像

 

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日の出直後の旧市街広場

 

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旧市庁舎天文時計

 

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旧市街聖ミクラーシュ教会

 

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旧市街 市民会館西隣 5つ星の「ボヘミア」

 

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寝室にも旧市街のリトグラフが

 

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グランドホテル・ボヘミアの朝食

 

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ホテルでも ウ フレクのジョッキで黒ビール

 

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地下鉄B線アンデル駅構内

 

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地下鉄B線アンデル駅構内エスカレーター

 

映画「コーリャ 」(1996)にも登場。 

 

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ベルトラムカ荘へ

 

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モーツァルト縁のベルトラムカ荘

 

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ベルトラムカ荘

  

2012年7月26日(木) 午後1時  動画

 

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盛夏のベルトラムカ荘

 

 

今回の旅のベストショット3選

 

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No.3 : 旧市街広場から火薬塔へと続く石畳

 

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No.2 : 日の出直後の旧市街広場

 

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No.1 : 漆黒の夜に浮かび上がる

     旧市庁舎時計台

 

 

☆しまひとみのギリシア旅行記☆

☆プラハ旅行記2012「写真集&動画」編☆

☆しまひとみの映画鑑賞1 「きっと忘れない」☆

☆しまひとみの映画鑑賞3 「アメリ」☆

 

 

しまひとみの 映画鑑賞2 「コーリャ  愛のプラハ」

2012/08/24 (1st Version)

 

 

しまひとみの映画鑑賞 3「アメリ」

 

アメリは、神経質で冷淡な元軍医とか情緒不安定な元教師など、通り一遍の人物評では到底理解しえない、かなりな変人の部類に属する両親の間に生まれた気の毒な女の子。特異な家庭環境と教育のせいで、学校に通うこともなく、空想癖のある孤独な少女になっていた。男の子を授かる祈願のためノートルダムへ年に一度の参拝中、飛び降り自殺の巻き添えとなった母親の死後、以前にも増して神経質になった父親との二人暮らしを経て成人したアメリ。モンマルトルのカフェに職を得て、真紅のベレーに身を纏い、前途洋々、嬉々として偏屈な父親のもとを巣立って行った。

カフェ・ドゥ・ムーランのマダムと従業員、そこに集まる常連客も変態とまでは言わずとも、極めて個性的な面々。それぞれに悩みや問題を抱えている。アメリは孤独だが決して自己中な人間なのではない。それどころか、人の痛みが我が事のように分かる心優しい乙女。彼女の人並み外れた空想力は、次々と人扶けのために発揮されて行く。

ある晩入浴後のこと、スリップ一枚の彼女は、ダイアナ元妃の事故死のニュースに驚いて、化粧水のキャップを落としてしまう。そのキャップが転々と転がった先に見つけたもの、それはアパートの昔の住人が少年の日に隠しておいた大切な宝箱だった。もしこの宝箱を元の持ち主の手に返すことが叶いその人に喜んでもらえたら、今度は「私も自分の殻から飛び出そう!」と心に誓うアメリなのだった。

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サンマルタン運河で水切りをすること、クレーム・ブリュレのお焦げにスプーンで穴を開けること、豆のぎっしり詰まった麻袋に手を突っ込むこと、映画を観ている人の顔を観察すること、これらはすべてアメリの密やかな愉しみであり大好きなこと。アメリは水切りをする扁平な石をどこででも見つけては、さっとポケットにしまっているでしょう。趣味とは好きなこと、気持ちのいいことをとことん極める行為なのです!

そう!この映画は趣味判断、つまり美意識の問題に貫徹された破天荒なまでにユニークな映画なのです。美学といえば学問的。しかし、性癖の問題も含め、本来美学は、好き・嫌い、気に入る・気に入らない、気持ちいい・気持ち悪いを端緒とし、快・不快、好・悪、延いては美・醜へと帰着する趣味判断を問題とする学問のことなのですよ。

「アメリ」は、アメリ・プーランというパリの下町で暮らす小柄で可愛い一人のおかっぱ頭の女性の日常生活を中心に、彼女と彼女と関わる人々の趣味や性癖を描きながら、彼らの実に多様で個性的な美意識について、細部に至るまで掘り下げた映画なのです。それだけではありませんよ。これはアメリの幸せ探しの旅路を彼女と一緒に辿る映画でもあるのです。

本編冒頭から約20分、アメリが地下鉄のホームへと降りてゆく場面。ホームの方からシャンソンの一節が聞こえてきます。「あなたがいなければとても生きてはいけない」「きっと知らずにいたでしょう」「この夢のような幸せを」「あなたの腕に抱かれると」「心が喜びで満ち溢れる」「とても生きてはいけないわ」「もしもあなたがいなければ」。それはそこで日銭を稼いでいる盲目の老人のレコードプレーヤーの音楽でした。粋な音楽に乗せて、さりげなく、この映画の真のテーマが提示されました。そしてその老人の少し向こうには4枚20フランのインスタント写真のボックスが。ニノという青年が、這いつくばって床下から何やら搔き出していました。まさに運命の人との出会いなのですが、アメリは怪訝な顔で足早に通り過ぎてしまいます。

ナレーターが二人の過去に遡り、二人は9キロ離れた場所で暮らし、少年は妹を、少女は兄をそれぞれ欲していたと解説します。あとは映画を見てのお楽しみ。

超個性的で性格美人のそこのあなた。あなたもそろそろアメリのように幸せになってはいかがですか?

縞爺も周りにアメリのような女の子がいたら、作中絵描きの爺さんのように彼女の背中を押してやると思います。

しまひとみは 、BS 238 での録画を観ながらこのレビューを書いています。NHKでも放送されたことはあるのかも知れませんが、ノーカット放送だったのでしょうか?

例えば、出産時、アメリが母親の膣口から顔を出して取り上げられるシーン。パリで同日同時刻に絶頂に達した15組のカップルの性交シーン。実はこれもアメリの空想癖の産物なのですよ!アメリが想いを寄せるニノが店番をするポルノショップのシーン。同僚の女性が覗き部屋でストリップを踊ったり、アダルトグッズの巨根ディルドをラッピングする様子とか、しっかりはっきり描かれています。しかし微塵の下品さもありません。これらをカットして放送したら、この映画の素晴らしさは半減することでしょう。

2001年のフランス映画、アカデミー外国語映画賞ノミネート作品。

文句なしの佳作、個人的にも大好きな一本。もちろん推薦作品です。しかしこの映画、映画批評には馴染みません。言語的に論評するのが難しい作品ですし、また下手な論評を拒絶してしまう作品でもあります。鑑賞の後、アメリと一緒に幸せな気持ちになればそれでいいのではないでしょうか。

縞爺も心優しき超変人の一人かもね!

 

映画紹介 アメリ    アメリ「フォトギャラリー」

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オドレイ・トトゥ                Amelie Poulain

 

                   アメリ 公式 ガイドブック

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     アメリの しあわせ アルバム

 

 

☆しまひとみの映画鑑賞1 「きっと忘れない」☆

☆しまひとみの映画鑑賞2 「コーリャ 愛のプラハ

12/10/17(1st)

 

2013年1月5日(土)

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しまひとみの映画鑑賞4 「静かなる男」 

 

ジョン・ウェイン演ずる「静かなる男」は

寡黙ながら、熱く優しい心根の持ち主

日本映画ならこの役は健さん以外あり得ない

合成映像が多いもののアイルランドの景色が素晴らしい

アイルランド民謡の「春の日の花と輝く」

実に効果的で

しまひとみの大好きな黒ビールも随所で描かれ

バリー・フィッツジェラルド演ずるミクリーンにも

終始、心和ませられる

ジョン・ウェインとモーリン・オハラの夫婦が

強欲な兄から苦労の末に引き出した持参金を

まったく惜しげなく

二人して炉の中に投げ入れるシーンは圧巻!

男勝りの大女に見えるモーリン・オハラだが

花を生け、こだわりの食器や調度を飾りつけ

ピアノを奏でながら歌う

濃やかな心情の 

それはそれは可愛いらしい女性だった

彼女の名前は

メアリー・ケイト・ダナハー

ジョン・フォード 異色の名作

 

 

2013年7月24日(水)

しまひとみの映画鑑賞5

「ホテル・ニューハンプシャー」(1984)

 

若き日の おデブな  ジョディ・フォスター

クマの着ぐるみを着た  ナスターシャ・キンスキー

この2人見るだけでも  一見の価値アリ?

 

「ガープの世界」(1982)の ジョン・アービング 原作

「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(1963)で

アカデミー監督賞 受賞の

トニー・リチャードソンの 知られざる傑作!

夢見る夢男さんと その家族の 波乱万丈な人生史!

 

アメリカ ニューハンプシャー州

オーストリア ウィーン  

そして再び

アメリカ メーン州

 

3つの場所の

ホテル「ニューハンプシャー」で

家族の身の上に

次々と 巻き起こる 事件の数々

 

ばかばかしい と言えば

ばかばかしい のだけれど

その都度

ベリー家の家訓

「開いた窓では 立ち止まるべからず」へと

立ち返らされる!

 

人はみな

死ぬまで

善く

生きなければならない

 

古代の老賢者の箴言にも似た命題へと

循環するように   繰り返し  遡源・遡及させられる

そんな 哲学的な 佳作

 

エンディングでは

「ホフマンの舟歌」に乗せて

全ての登場人物にとって ハッピーな

ホテル・ニューハンプシャーの

理想形が 提示されて

大団円となる

 

クマも出る! 

フクロウは出ない!

ギャツビーは どこに出るの?

映画見たら わかる!

    

参考記事     

 

初出

縞爺しまひとみの「ミネルヴァの梟する」

(2013/07/18)

 

 

2013年9月4日(水)    

しまひとみの映画鑑賞6

小泉堯史 監督 「明日への遺言」  2007)

 

2010年2月17日

76歳で亡くなった

藤田まこと の 遺作映画

 

ひとりの 士  として 

生き  死んでいった

陸軍中将   岡田資(たすく)  という 人間を

見事に演じきったと 思う

藤田自身の遺作に相応しい

それは格調高い映画だった

 

黒澤明脚本の「雨あがる」(2000)

もそうだったけど

小泉堯史監督は

映画 観終わった後

「爽やかな気分」にさせてくれる!  

 

B級戦犯の軍事法廷

判決が下りて

月明かりの下

「ご機嫌よう」

穏やかな一言遺し

処刑場へ向かう

軽やかな足取りは

己自身に対して

一点の曇りなく

信念に基づいて

職分を果たし了えた

士の姿そのものだった

 

スタンリー・クレイマー監督の名作

「ニュールンベルク裁判」(1961)の

エルンスト・ヤニング(バート・ランカスター)とは

好対照の役柄・人間像!

 

「遺言」でも

演劇を勉強中の学生として登場の

長男の  岡田陽 (2009/11/26 没 )さん

爺 多少の縁  ある!

 

横浜の「人形の家」で 人形劇観て

一緒にパスタ食べた思い出ある

2皿頼んで 半分こした

確か 一皿は

バジルの良い風味の

ジェノヴェーゼだった

 

児童劇の舞台観た後

上野駅で別れた思い出もある

滋養強壮の

「すっぽんエキス買いにいく」

言ってた!

 

 

ここから 映画鑑賞6+ 

 

それはそれ これはこれで

「はだしのゲン」の残虐な描写の真偽について  

旧日本軍の「斬首」に関して

「明日への遺言」は

まさに「それ」をめぐっての裁判記録

 

岡田資中将は捕虜になった

無差別爆撃のB29の搭乗員に

斬首命令を下した

日本国内での歴史的事実

 

2013/8/22 

しまひとみの レクイエム2

藤田 まこと  さん  &  岡田 陽  さん

 

   

初出

しまひとみの「ミネルヴァの梟する

(2013/8/22 )

    

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