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2012年12月

2012年12月23日 (日)

好きな店 3 神田神保町の「洋食屋」

 

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神田神保町の洋食屋 ランチョン

ランチョンという店名は

英語で「ちょっと気取ったランチ」という意味。

初代の治彦さんが

駿河台下の一角で開業した1909年(明治42年)頃

近所に同業者がいないので

名前がなくても神田の「洋食屋」で通っていたとのこと。

そのうちに常連さんで上野の音楽学校関係者に

「名前が無いのは不便だ!ランチョンと呼ぶのはどうだ!」と

強引にも横文字で名づけられ

治彦さんは ただもう何語かも解らぬまま

ありがたく頂戴したのだそうです。

 

戦前・戦中、青山の旧華族、梨本宮邸傍に下宿し

東横線でジャイロコンパスを製造する会社勤めをしていた父は

給料日、恭しく後ろに立つボーイさんの給仕を受けながら

カレーライスを 食したのだとか。

緊張の冷や汗をかきながら。

普通、カレーライス 十銭 の時代、スープ付きで何と一円!

 

ハチ公にパンを与えたという自慢話のついでに必ず口にする話題です。

 

時は移ろい

私は カツサンド を黒ビールと一緒に頂きました。

 

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奥の絵には父親の治彦さんの姿も

   

 

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李白の詩にも

一杯  一杯 復一杯  というのがあります。

Wenn das Bier eingeht,  geht der Mund auf.

一杯 遣れば 復た 愉し 

 

大ジョッキのビールがだんだんと減って行き

1リットル入る マース という特大の器がちょうど空になる頃

人々はみな上機嫌で盛り上がり

口数も増え、話も相当はずんでいることでしょう。

 

ドイツには陶器や金属でできた蓋付き大ジョッキで

ビールを飲む習慣がありました。

 

現在の代表的ランチョンメニュー

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オレンジページムック「おいしい東京」所収

 

旨い黒ビールの味を覚えたら、

日本で普通にビールと言われている

ピルスナーを飲みたいと思わなくなりました。

 

実は、このピルスナーの故郷はチェコなのですが、

そのチェコのプラハでも、

黒ビール1種類のみで商売している店があります。

 

来週、その黒ビールを飲みにプラハに行きます。

日本のビールはアルコール度数5%と低めですが、

ウ フレク の黒ビールは13%、ジョッキは0.4L 1種類のみ。

2杯飲みたいところですが、

目が回るといけないので、昼と夜、1杯ずつにします。

1杯 59コルナ、約 240円です。

(13%はアルコール濃度ではなく、発酵前の麦汁濃度だった。

バリング度: 2013/06/26 追記)

 

石畳の迷宮のような小路を歩き、

のどが渇いたころ、

また ウ フレク に戻って1杯の黒ビールを頂く

それだけでも良い旅になりそうです。

 

チェコ語はできませんが、おそらく普通のチェコ人以上に

チェコの音楽が身についています。

スメタナ、ドボルザーク、ヤナーチェック

小学生の頃から聴きはじめました。

 

交響詩「わが祖国」と歌劇「売られた花嫁」

 

弦楽四重奏曲「アメリカ」、ピアノ五重奏曲、

第7・8・9番の交響曲

バイオリン協奏曲とチェロ協奏曲

「レクイエム」に「スターバト・マーテル」

 

「シンフォニエッタ」に「グラゴルミサ」

 

マーラーが故郷のチェコ・フィルを指揮して初演した

交響曲第7番なども、

一般には、難解で捉えどころがないように言われていますが、

私には、単純・素朴で美しいチェコの音楽に

世紀末ウィーンの香り付けが施された

一種のヌーベル・キュイジーヌのように思えてなりません。

 

プラハは美術史においても、

キュビズムの中心を成した街のひとつでした。

 

チェコ国歌はメロディーがことのほか美しく、

中間部では精神的にも鼓舞され、

チェコ国民でもないのに、

知らず知らず口ずさんでいることがあります。

 

ビロード革命直後のプラハの春では、

ハベル大統領夫妻も出席して、

アール・ヌーボーの市民会館、スメタナ・ホールで

スメタナの「わが祖国」が演奏されました。

タクトを取ったのは、亡命生活を終えて帰国した

ラファエル・クーベリックでした。

その後クーベリックは1996年8月11日、スイスで

亡くなり、父親のヤン・クーベリック、

美人画で有名な国民的画家のアルフォンス・ムハ

とともにチェコ建国の地、ヴィシェフラットの霊園で

静かに眠っています。

   

Photo

 出典 

   

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プラハ ヴィシェフラット墓地(2012/7/24)

       

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スメタナ「わが祖国」  

   

   

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ウ フレク

 

無事帰国したら、旅行記をアップします。

12/07/16(1st)

   

しまひとみのプラハ旅行記
  

しまひとみの映画鑑賞2「コーリャ 愛のプラハ」

   

    

    

しまひとみの好きな店 4     

やきとりと 握り鮨の おし鳥 

札幌市 北区 北18 西5                

   

残念ながら 2012年11月末で 閉店

店主の 加藤嘉勝 さん が 80歳を越え

店の賃貸契約が切れるのを機に  閉店を決断とか

   

          

1992年8月の末

北大での 学会発表の際

北大に1番近い宿泊施設なので

無信仰 無宗教 ながら

北海道クリスチャンセンターに 宿泊

4泊のうち 3泊目に おし鳥で 夕食

   

           

マスターの おすすめ で

やきとりの 盛り合わせ と

生まぐろの握りを 頂きました

     

         

マスター 

元々は 函館で 大きな お鮨屋さんを 経営とか

やきとりと 握り鮨が 一緒に食べられる 理由 です             

カウンターに いくつか ランプが ありました

    

   

夕方のニュースは

東京佐川急便の 

故 金丸信氏への 5億円ヤミ献金事件  一色

「京都で 後輩数名が 佐川会長の孫の 家庭教師をしている」

この話題で 盛り上がりました

    

    

京都から来てたの

北大のOBかと思ったよ  

北海道なまりの マスターの言葉

   

よそ者の 一見さん と 思われてなかったのが 嬉しかった

ほくほくの 生まぐろ ほんと 美味しかった

       

Photo 出典不詳

  

札幌「おし鳥」追想 に目が留まり執筆 (2013/10/31)

 

  

 

しまひとみの映画鑑賞2 コーリャ愛のプラハ

 

主人公のロウカは元チェコフィルのチェロ奏者。弟の亡命でオーケストラを追われ、アルバイトの梯子演奏で細々と、しかし自由奔放に暮らしている。一流の演奏家を目指すなら、結婚すべきではないという父親の遺言に従い、55歳の現在まで多くの女性を相手に、その日暮らしながらも結構楽しい毎日のようだ。

   

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チェコフィルの本拠ルドルフィーヌム「芸術家の家」

ここにドヴォジャーク・ホールがある

 

プラハの別名は「百塔の街」。それくらい尖塔を伴う建物が多いのだが、ロウカ自身も「私の塔」と呼ぶプラハ城と聖ミクラーシュ教会の見えるアパートの最上階が彼のねぐらだ。そんなある日、友人に偽装結婚の話を持ちかけられ、溜まりに溜まった借金の返済と中古のトラバントの購入費用の足しに、一口乗っかることになった。

 

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聖ミクラーシュ教会 と プラハ城 そして ヴルタヴァ川

 

相手は自分の娘ほども年の離れた子連れのロシア美人。ドイツにいる実の夫を訪ねるためソ連を出国する苦肉の策だった。派手な結婚式と形ばかりの初夜を済ませて間もなく、彼女は5歳の息子コーリャを置き去りにして、恋しい夫のもとへと旅立ってしまう。母親の出奔とチェコで暮らす大伯母の急死により、コーリャの扶養義務が継父のロウカに生じるのだが、突然、降って湧いた事態にロウカは戸惑いを隠せない。

 

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プラハ城から 見た プラハ市街

     右上の ドームが 聖ミクラーシュ教会

 

当時冷戦下のプラハでは、ソ連との友好を確認しあう行事のひとつとして、両国国旗をアパートの窓に飾りつけるコンテストがあったようで、コーリャが「僕らのは美しい」と言えば、ロウカは「お前のパンツのように真っ赤だ」と応戦する。卵ひとつ食べさせるにも「お前の国の鶏が産んだ卵」だとか、ソ連の駐留軍を見つけては「お前の国の軍隊は居座るが、お前はさっさと帰る」とか、子ども相手に大人げないロウカである。

 

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カレル橋から 見た ヴルタヴァ川

 

コーリャはロウカが嫌い。ロウカにとってもコーリャは厄介者。横断歩道でコーリャの手を取ろうにも、にべもなく拒絶されてしまう。ところが風呂に入れ、食事をさせ、映画を見せ、外に連れ出し、結構、甲斐甲斐しく世話を焼いているうちに、いつしか「お父さん」と呼ばれ、強く手を握り締められるまでになるのだから驚きである。厄介払いのため、早々と福祉局に引き取りの申請書を提出してしまったものの、いざ引き取られる段になると、今では実の子のように思えるコーリャを連れて一目散に逃げ出すのだから、おかしくて笑ってしまう。

 

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市中から 見る プラハ城

 

実はこの人間関係の変容、間もなく訪れるであろう1989年のビロード革命の予兆であり、亡命中の名指揮者、ラファエル・クーベリックの帰郷とロウカ自身のオーケストラ復帰の伏線なのだが、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の第5曲「ターボル」と第6曲の「ブラニーク」の最も劇的な部分を効果的に用いて、無血革命の様子と二人の音楽家の復帰を重ね合わせながら、一気に大団円へと突き進んで行く終盤は圧巻である。

 

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プラハ城 正門 

  オバマ大統領も ここ プラハで 核廃絶を 宣言した

 

Img_0441_3半世紀近い社会主義体制の影響か、現在、チェコ人の半数以上が無宗教なのだという。プラハを歩いてみれば一目瞭然だが、街中、至る所に大小様々な教会や修道院が点在し、ここが神聖ローマ帝国の都として中欧における第2のローマであったことを思い知らされる。チェコ最古のビール酒房ウフレクは1499年の創業だが、建物自体は12世紀創立の修道院である。

 

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国民劇場 から 徒歩5分

 ここで 喉を潤して オペラへと 繰り出したの だろうか

 

韓国人が日本人を嫌うのと同様、チェコ人はドイツ人が嫌いだ。理由はドイツの大学史に関する書物の最初の1頁をめくってみれば、たちどころに明らかになる。そこには「ドイツ最古の大学はプラハのカレル大学である」と記されている。ハプスブルク家によるカトリックの支配は、神聖ローマ帝国の都プラハを形作り、スラブ民族のボヘミアにも及んだのである。プラハの旧市街広場には宗教改革者ヤン・フス像が設置されているが、この人こそルターに先立つこと百年、腐敗著しいカトリックに敢然と立ち向かい非業の死を遂げた人であった。ハプスブルク家が、ローマカトリックの権威を笠に着た神聖ローマ帝国(ナチスドイツはここから数えて3番目の帝国に当たる)の盟主として、スラブの人々にもドイツ語を強要したため、日常語としての母国語を奪われた人々が唯一使用を許されたマリオネットの舞台で反骨精神を培っていったのは周知のとおり。

 

旧市街の カレル大学 本部

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UNIVERSITAS CAROLINA

 

14世紀 1348年創設当時の 出窓

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この出窓の 真向かいに エステート劇場

 

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モーツァルト 自身の手で ドン・ジョバンニを 初演

 

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旧市街広場の ヤン・フス像

 
 
2012年7月23日(月)、プラハ旅行に旅立つ朝、NHKニュースで円が対ユーロ相場で11年8か月ぶりに高値を記録したことを伝えていた。11年秋には120円したユーロがこのところ100円を切る水準で推移していたので想定の範囲内ではあったが、実にグッド・タイミングだった。プラハ・ルズィニエ空港とホテル間の送迎をプラハ・エアポート・トランスファーという業者に事前に依頼し、日本円で支払う契約を交わしていたのだが、遠く離れたヨーロッパの地で、いざ日本の紙幣を手渡す段になり、ソウルで日本円を使用した時と同様、ある種複雑な気持ちに襲われた。日本でも米軍基地のある街では普通に見られる光景なのだろうが。ほぼレートどおり、1コルナ=4円での請求だった。旧市街広場からカレル橋、カレル橋からプラハ城へと至る道すがら「ムッシュ!両替しませんか」と声をかけられ続けることになったのだが、これには閉口させられた。通貨も欲しがられるうちが華。国民の預貯金が国の借金としてほぼ全額食い潰されてしまった今日、いつ東電株と同じ運命を辿るかわかったものでない。

 

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カレル橋から 見た プラハ城

 

空港からホテルまで、とにかくSAMSUNGの広告が目についた。運転手も日本のはありませんと気の毒そうに言っていた。実際、5日の滞在で目にした日本は、地下鉄C線ヴィシェフラット駅のコングレス・センターのPanasonicの広告、どこか怪しげな1軒の寿司バー、レクサス他数台の車くらいのもの。幹線道路のディーゼル臭の物凄かったこと。夕暮れのヴルタヴァ河畔を中国と韓国の団体さんが何組か楽しげに散策。高度成長期、セーヌ河辺りでも同じような同胞の姿が見られたに相違あるまい。ホテルのTVチャンネルは20がNHKで21がCCTV。他にはドヴォジャーク・ホール向かいの8か国語表示の円柱広告塔の一番下に日本語で「プラハのイベントと文化」の表示が。私のように極東からでも丸1日かけてわざわざ見物に訪れたい街、実際、真夏でも真冬でも世界中から人々が集まってくる街、それがプラハ。

 

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地下鉄C線 ヴィシェフラット駅 を出ると

 

チェコ 英 独 仏 露 西 伊 日本の 各語 

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8か国語 プラハの イベントと 文化 広告塔

 

1990年、統一ドイツのケルン中央駅でのこと。当時、多く見られたトルコ人労働者の子どもたちがギブミー・マニーをしているのを目の当たりにした。今回も、地下鉄B線のムステック駅でベビーカーの若い母親に無心された。財布からコインを出して見せられ、この子のミルク代がないのだという。近くに駅員がいるのを承知で現地語で必死に訴えるので、演技かもしれないと思いつつ紙入れから10ユーロ出して渡した。目ざとくもう10ユーロあるのを見つけ、それも欲しいというので、拒否した。ビール酒房ウフレクの飲食代が10ユーロ分減ったまでのこと。ウフレクの一杯59コルナのビールはプラハでは最も高いらしい。それでもチェコ一と評判の名物の黒ビール、13度、0.4Lが日本円で240円ほど。長居しなければ、軽い食事をしても10ユーロ=250コルナ=1000円でおつりがくる。キノコとジャガイモのスープも59コルナ。ウフレクで注意すべきは、アニスなどの香草で作ったべへロフカを「食前酒」と称して配って歩くことだ。これはサービスのように見せかけた一種の押し売りである。美しい琥珀色の液体が小さいリキュールグラスで配られる。一杯79コルナ320円ほどだがビールより高い額が、しっかり勘定書きに追加されている。甘いけれど匂いはかなりきつい。口に合わない人も多いだろう。

 

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黒ビール ジャガイモのスープ べへロフカ

 

「コーリャ 愛のプラハ」はロウカとコーリャという異質で対立しあうもの同士が、言語、民族や文化、習慣や偏見を超えて、理解し愛し合えることを両者の心の変容を描くことで表現し、世界中の共感を呼び、アカデミー外国語賞はじめ主要な映画賞を総なめにした秀作である。

 

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モーツァルトの ベルトラムカ荘  動画

 

奇しくも今回の旅の締めくくりは、モーツァルトが何度も滞在し「ドン・ジョヴァンニ」を完成させたベルトラムカ荘だった。地下鉄B線のアンデル駅下車、徒歩で15分ほどのところに静かに佇んでいた。そこは市中の喧騒から隔てられて静謐に支配され、今にもモーツァルトが現れそうな雰囲気を醸し出していた。アンデル駅は地下鉄とトラムと市バスの乗り換え駅で、コーリャの撮影場所のひとつでもある。映画では、地下鉄B線に乗車中、ロウカは女性に、コーリャは仔犬に気を取られている間にはぐれてしまい、お互い右往左往しながらドラマチックに再会を果たした駅である。それは両者が強い絆で結ばれたことを再確認しあうシーンで、この映画の頂点をなすと言っても過言でない、それ程に感動的な場面だった。駅の出口は2か所、ロウカはバスターミナルのある正面へのエスカレーターから、コーリャはベルトラムカ荘方面へと向かう反対側のエスカレーターから上がってくる。そして「コーリャ」と呼びかけるロウカの大きな声を聴いて駆け出し、コンコースの真ん中どころで再会を果たした。ちなみに、撮影時、この駅は「モスクワ通り駅」と呼ばれ、赤い石板の壁にクレムリンの装飾が施されていた。現在はアンデル駅と改称され、写真のようにプラハとモスクワの名前が対をなし、かつての友好のシンボルとして残されている。

 

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この映画、かなり作為的なものの部類に属し、一つ間違えば相当嫌味なものになっていたのではないかと危惧されたのだが、冒頭より、美しい画と音楽が実にテンポよく絶妙に配され、自己中で子ども同然の大人として見られがちだった主人公ロウカの実像も徐々に明らかになっていき、彼のユーモア溢れる反骨精神が、綿々と続く他所者の支配者の圧政に耐え続けたチェコの一般民衆の生き様と重なり、奥深く味わい深い一本に仕上がったように思われる。繰り返しの鑑賞にも耐えられる飽きの来ない佳作。ひとみが自信をもってお薦めできる極上の一本。

「のだめカンタービレ」や「プラハの恋人」のオタクにも鑑賞させてみたいものだが如何だろうか。

 

 

しまひとみのプラハ旅行記(写真集&動画集)

2012年7月

 

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スメタナホールのある市民会館

 

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日没直後のヴルタヴァ川

 

2012年7月23日(月)午後9時  動画

 

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ヴルタヴァ川とプラハ城

 

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夕暮れのプラハ城

 

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旧市街のティーン教会

 

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漆黒の夜に浮かび上がるティーン教会

 

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ドン・ジョヴァンニ初演のエステート劇場

 

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エステート劇場

 

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チェコ建国の地ヴィシェフラット「高い城」

 

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ヴィシェフラットへ

 

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聖マルティン教会のロトゥンダ

  

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ヴィシェフラットの聖ペテル・聖パヴェル教会

 

2012年7月24日(火)午後1時 動画

 

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交響詩「わが祖国」のスメタナの墓碑

 

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ドヴォジャークの墓碑

 

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建国の王女リブシェとその夫プシェミスル

 

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伝説の勇女シャールカ像

 

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ヴィシェフラットからヴルタヴァを望む

 

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ヴィシェフラット 緑の絨毯

 

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ポストモダンのダンシングビル

 

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創業1499年のビール酒房 ウ フレク

 

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ウ フレクの時計

 

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黒ビールとグラーシュ・クネドリーキ添え

 

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ジャガイモとマッシュルームのスープ

 

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ウ フレクから徒歩5分の国民劇場  動画

 

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レギー橋とプラハ城

 

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市民会館内のカフェで

 

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カレル橋東詰の聖サルヴァートル教会

  

2012年7月25日(水)午後7時 動画

オルガンコンサートから

 

モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

バッハ「トッカータとフーガ BWV 565

シューベルト「アヴェ・マリア」

 

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カレル橋からヴルタヴァを望む

 

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プラハ城からプラハ市街を望む

 

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プラハ城大統領府と聖ヴィート大聖堂

 

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聖ヴィート大聖堂

 

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宗教改革者 ヤン・フス 像

 

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日の出直後の旧市街広場

 

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旧市庁舎天文時計

 

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旧市街聖ミクラーシュ教会

 

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旧市街 市民会館西隣 5つ星の「ボヘミア」

 

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寝室にも旧市街のリトグラフが

 

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グランドホテル・ボヘミアの朝食

 

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ホテルでも ウ フレクのジョッキで黒ビール

 

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地下鉄B線アンデル駅構内

 

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地下鉄B線アンデル駅構内エスカレーター

 

映画「コーリャ 」(1996)にも登場。 

 

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ベルトラムカ荘へ

 

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モーツァルト縁のベルトラムカ荘

 

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ベルトラムカ荘

  

2012年7月26日(木) 午後1時  動画

 

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盛夏のベルトラムカ荘

 

 

今回の旅のベストショット3選

 

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No.3 : 旧市街広場から火薬塔へと続く石畳

 

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No.2 : 日の出直後の旧市街広場

 

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No.1 : 漆黒の夜に浮かび上がる旧市庁舎時計台

      
 

 

☆しまひとみのギリシア旅行記☆

☆プラハ旅行記2012「写真集&動画」編☆

☆しまひとみの映画鑑賞1 「きっと忘れない」☆

☆しまひとみの映画鑑賞3 「アメリ」☆

 

 

しまひとみの 映画鑑賞2 「コーリャ  愛のプラハ」

2012/08/24 (1st Version)

 

 

しまひとみの プラハ旅行記                      2012年7月22日~28日

グランドホテル・ボヘミアに4泊して「石畳の迷宮」を堪能してきました。まず写真集と動画をアップします。

☆しまひとみの映画鑑賞2「コーリャ 愛のプラハ」 2012/8/24☆

☆しまひとみの映画鑑賞2「コーリャ 愛のプラハ」 2012/12/23☆ 

 

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スメタナホールのある市民会館

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日没直後のヴルタヴァ川   

2012年7月23日(月)午後9時    動画

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ヴルタヴァ川とプラハ城

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夕暮れのプラハ城

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旧市街のティーン教会

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漆黒の夜に浮かび上がるティーン教会

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ドン・ジョヴァンニ初演のエステート劇場

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エステート劇場

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チェコ建国の地ヴィシェフラット「高い城」

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ヴィシェフラットへ

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聖マルティン教会のロトゥンダ

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ヴィシェフラットの聖ペテル・聖パヴェル教会

2012年7月24日(火)午後1時 動画

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交響詩「わが祖国」のスメタナの墓碑

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ドヴォジャークの墓碑

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建国の王女 リブシェ と その夫 プシェミスル

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伝説の勇女シャールカ像

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ヴィシェフラットからヴルタヴァを望む

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ヴィシェフラット  緑の絨毯

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ポストモダンのダンシングビル

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創業1499年のビール酒房  ウ フレク

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ウ フレクの時計

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黒ビールとグラーシュ・クネドリーキ添え

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ジャガイモとマッシュルームのスープ

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ウ フレクから徒歩5分の国民劇場   動画

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レギー橋とプラハ城

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市民会館内のカフェで

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カレル橋東詰の聖サルヴァートル教会

2012年7月25日(水)午後7時 動画

オルガンコンサートから

モーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」

バッハ「トッカータとフーガ BWV 565

シューベルト「アヴェ・マリア」

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カレル橋からヴルタヴァを望む

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プラハ城からプラハ市街を望む

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プラハ城大統領府と聖ヴィート大聖堂

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聖ヴィート大聖堂

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宗教改革者 ヤン・フス 像

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日の出直後の旧市街広場

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旧市庁舎天文時計

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旧市街聖ミクラーシュ教会

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旧市街  市民会館西隣   5つ星の「ボヘミア」

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寝室にも旧市街のリトグラフが

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グランドホテル・ボヘミアの朝食

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ホテルでも ウ フレクのジョッキで黒ビール

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地下鉄B線アンデル駅構内

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地下鉄B線アンデル駅構内エスカレーター

映画「コーリャ 」(1996)にも登場。 

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ベルトラムカ荘へ

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モーツァルト縁のベルトラムカ荘

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ベルトラムカ荘 

2012年7月26日(木)午後1時 動画

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盛夏のベルトラムカ荘

今回の旅のベストショット3選

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No.3 : 旧市街広場から火薬塔へと続く石畳

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No.2 : 日の出直後の旧市街広場

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No.1 : 漆黒の夜に浮かび上がる

      旧市庁舎時計台

 

 

しまひとみの映画鑑賞2 コーリャ愛のプラハ

 

主人公のロウカは元チェコフィルのチェロ奏者。弟の亡命でオーケストラを追われ、アルバイトの梯子演奏で細々と、しかし自由奔放に暮らしている。一流の演奏家を目指すなら、結婚すべきではないという父親の遺言に従い、55歳の現在まで多くの女性を相手に、その日暮らしながらも結構楽しい毎日のようだ。

   

Photo

チェコフィルの本拠ルドルフィーヌム「芸術家の家」

ここにドヴォジャーク・ホールがある

 

プラハの別名は「百塔の街」。それくらい尖塔を伴う建物が多いのだが、ロウカ自身も「私の塔」と呼ぶプラハ城と聖ミクラーシュ教会の見えるアパートの最上階が彼のねぐらだ。そんなある日、友人に偽装結婚の話を持ちかけられ、溜まりに溜まった借金の返済と中古のトラバントの購入費用の足しに、一口乗っかることになった。

 

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聖ミクラーシュ教会 と プラハ城 そして ヴルタヴァ川

 

相手は自分の娘ほども年の離れた子連れのロシア美人。ドイツにいる実の夫を訪ねるためソ連を出国する苦肉の策だった。派手な結婚式と形ばかりの初夜を済ませて間もなく、彼女は5歳の息子コーリャを置き去りにして、恋しい夫のもとへと旅立ってしまう。母親の出奔とチェコで暮らす大伯母の急死により、コーリャの扶養義務が継父のロウカに生じるのだが、突然、降って湧いた事態にロウカは戸惑いを隠せない。

 

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プラハ城から 見た プラハ市街

     右上の ドームが 聖ミクラーシュ教会

 

当時冷戦下のプラハでは、ソ連との友好を確認しあう行事のひとつとして、両国国旗をアパートの窓に飾りつけるコンテストがあったようで、コーリャが「僕らのは美しい」と言えば、ロウカは「お前のパンツのように真っ赤だ」と応戦する。卵ひとつ食べさせるにも「お前の国の鶏が産んだ卵」だとか、ソ連の駐留軍を見つけては「お前の国の軍隊は居座るが、お前はさっさと帰る」とか、子ども相手に大人げないロウカである。

 

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カレル橋から 見た ヴルタヴァ川

 

コーリャはロウカが嫌い。ロウカにとってもコーリャは厄介者。横断歩道でコーリャの手を取ろうにも、にべもなく拒絶されてしまう。ところが風呂に入れ、食事をさせ、映画を見せ、外に連れ出し、結構、甲斐甲斐しく世話を焼いているうちに、いつしか「お父さん」と呼ばれ、強く手を握り締められるまでになるのだから驚きである。厄介払いのため、早々と福祉局に引き取りの申請書を提出してしまったものの、いざ引き取られる段になると、今では実の子のように思えるコーリャを連れて一目散に逃げ出すのだから、おかしくて笑ってしまう。

 

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市中から 見る プラハ城

 

実はこの人間関係の変容、間もなく訪れるであろう1989年のビロード革命の予兆であり、亡命中の名指揮者、ラファエル・クーベリックの帰郷とロウカ自身のオーケストラ復帰の伏線なのだが、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の第5曲「ターボル」と第6曲の「ブラニーク」の最も劇的な部分を効果的に用いて、無血革命の様子と二人の音楽家の復帰を重ね合わせながら、一気に大団円へと突き進んで行く終盤は実に圧巻である。

 

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プラハ城 正門 

  オバマ大統領も ここで 核廃絶を 宣言した

 

Img_0441_3半世紀近い社会主義体制の影響か、現在、チェコ人の半数以上が無宗教なのだという。プラハを歩いてみれば一目瞭然だが、街中、至る所に大小様々な教会や修道院が点在し、ここが神聖ローマ帝国の都として中欧における第2のローマであったことを思い知らされる。チェコ最古のビール酒房ウフレクは1499年の創業だが、建物自体は12世紀創立の修道院である。

 

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国民劇場 から 徒歩5分

 ここで 喉を潤して オペラへと 繰り出したの だろうか

 

韓国人が日本人を嫌うのと同様、チェコ人はドイツ人が嫌いだ。理由はドイツの大学史に関する書物の最初の1頁をめくってみれば、たちどころに明らかになる。そこには「ドイツ最古の大学はプラハのカレル大学である」と記されている。ハプスブルク家によるカトリックの支配は、神聖ローマ帝国の都プラハを形作り、スラブ民族のボヘミアにも及んだのである。プラハの旧市街広場には宗教改革者ヤン・フス像が設置されているが、この人こそルターに先立つこと百年、腐敗著しいカトリックに敢然と立ち向かい非業の死を遂げた人であった。ハプスブルク家が、ローマカトリックの権威を笠に着た神聖ローマ帝国(ナチスドイツはここから数えて3番目の帝国に当たる)の盟主として、スラブの人々にもドイツ語を強要したため、日常語としての母国語を奪われた人々が唯一使用を許されたマリオネットの舞台で反骨精神を培っていったのは周知のとおり。

 

旧市街の カレル大学 本部

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UNIVERSITAS CAROLINA

 

14世紀 1348年創設当時の 出窓

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この出窓の 真向かいに エステート劇場

 

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モーツァルト 自身の手で ドン・ジョバンニを 初演

 

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旧市街広場の ヤン・フス像

 
 
2012年7月23日(月)、プラハ旅行に旅立つ朝、NHKニュースで円が対ユーロ相場で11年8か月ぶりに高値を記録したことを伝えていた。11年秋には120円したユーロがこのところ100円を切る水準で推移していたので想定の範囲内ではあったが、実にグッド・タイミングだった。プラハ・ルズィニエ空港とホテル間の送迎をプラハ・エアポート・トランスファーという業者に事前に依頼し、日本円で支払う契約を交わしていたのだが、遠く離れたヨーロッパの地で、いざ日本の紙幣を手渡す段になり、ソウルで日本円を使用した時と同様、ある種複雑な気持ちに襲われた。日本でも米軍基地のある街では普通に見られる光景なのだろうが。ほぼレートどおり、1コルナ=4円での請求だった。旧市街広場からカレル橋、カレル橋からプラハ城へと至る道すがら「ムッシュ!両替しませんか」と声をかけられ続けることになったのだが、これには閉口させられた。通貨も欲しがられるうちが華。国民の預貯金が国の借金としてほぼ全額食い潰されてしまった今日、いつ東電株と同じ運命を辿るかわかったものでない。

 

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カレル橋から 見た プラハ城

 

空港からホテルまで、とにかくSAMSUNGの広告が目についた。運転手も日本のはありませんと気の毒そうに言っていた。実際、5日の滞在で目にした日本は、地下鉄C線ヴィシェフラット駅のコングレス・センターのPanasonicの広告、どこか怪しげな1軒の寿司バー、レクサス他数台の車くらいのもの。幹線道路のディーゼル臭の物凄かったこと。夕暮れのヴルタヴァ河畔を中国と韓国の団体さんが何組か楽しげに散策。高度成長期、セーヌ河辺りでも同じような同胞の姿が見られたに相違あるまい。ホテルのTVチャンネルは20がNHKで21がCCTV。他にはドヴォジャーク・ホール向かいの8か国語表示の円柱広告塔の一番下に日本語で「プラハのイベントと文化」の表示が。私のように極東からでも丸1日かけてわざわざ見物に訪れたい街、実際、真夏でも真冬でも世界中から人々が集まってくる街、それがプラハ。

 

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地下鉄C線 ヴィシェフラット駅 を出ると

 

チェコ 英 独 仏 露 西 伊 日本の 各語 

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8か国語 プラハの イベントと 文化 広告塔

 

1990年、統一ドイツのケルン中央駅でのこと。当時、多く見られたトルコ人労働者の子どもたちがギブミー・マニーをしているのを目の当たりにした。今回も、地下鉄B線のムステック駅でベビーカーの若い母親に無心された。財布からコインを出して見せられ、この子のミルク代がないのだという。近くに駅員がいるのを承知で現地語で必死に訴えるので、演技かもしれないと思いつつ紙入れから10ユーロ出して渡した。目ざとくもう10ユーロあるのを見つけ、それも欲しいというので、拒否した。ビール酒房ウフレクの飲食代が10ユーロ分減ったまでのこと。ウフレクの一杯59コルナのビールはプラハでは最も高いらしい。それでもチェコ一と評判の名物の黒ビール、13度、0.4Lが日本円で240円ほど。長居しなければ、軽い食事をしても10ユーロ=250コルナ=1000円でおつりがくる。キノコとジャガイモのスープも59コルナ。ウフレクで注意すべきは、アニスなどの香草で作ったべへロフカを「食前酒」と称して配って歩くことだ。これはサービスのように見せかけた一種の押し売りである。美しい琥珀色の液体が小さいリキュールグラスで配られる。一杯79コルナ320円ほどだがビールより高い額が、しっかり勘定書きに追加されている。甘いけれど匂いはかなりきつい。口に合わない人も多いだろう。

 

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黒ビール ジャガイモのスープ べへロフカ

 

「コーリャ 愛のプラハ」はロウカとコーリャという異質で対立しあうもの同士が、言語、民族や文化、習慣や偏見を超えて、理解し愛し合えることを両者の心の変容を描くことで表現し、世界中の共感を呼び、アカデミー外国語賞はじめ主要な映画賞を総なめにした秀作である。

 

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モーツァルトの ベルトラムカ荘  動画

 

奇しくも今回の旅の締めくくりは、モーツァルトが何度も滞在し「ドン・ジョヴァンニ」を完成させたベルトラムカ荘だった。地下鉄B線のアンデル駅下車、徒歩で15分ほどのところに静かに佇んでいた。そこは市中の喧騒から隔てられて静謐に支配され、今にもモーツァルトが現れそうな雰囲気を醸し出していた。アンデル駅は地下鉄とトラムと市バスの乗り換え駅で、コーリャの撮影場所のひとつでもある。映画では、地下鉄B線に乗車中、ロウカは女性に、コーリャは仔犬に気を取られている間にはぐれてしまい、お互い右往左往しながらドラマチックに再会を果たした駅である。それは両者が強い絆で結ばれたことを再確認しあうシーンで、この映画の頂点をなすと言っても過言でない、それ程に感動的な場面だった。駅の出口は2か所、ロウカはバスターミナルのある正面へのエスカレーターから、コーリャはベルトラムカ荘方面へと向かう反対側のエスカレーターから上がってくる。そして「コーリャ」と呼びかけるロウカの大きな声を聴いて駆け出し、コンコースの真ん中どころで再会を果たした。ちなみに、撮影時、この駅は「モスクワ通り駅」と呼ばれ、赤い石板の壁にクレムリンの装飾が施されていた。現在はアンデル駅と改称され、写真のようにプラハとモスクワの名前が対をなし、かつての友好のシンボルとして残されている。

 

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この映画、かなり作為的なものの部類に属し、一つ間違えば相当嫌味なものになっていたのではないかと危惧されたのだが、冒頭より、美しい画と音楽が実にテンポよく絶妙に配され、自己中で子ども同然の大人として見られがちだった主人公ロウカの実像も徐々に明らかになっていき、彼のユーモア溢れる反骨精神が、綿々と続く他所者の支配者の圧政に耐え続けたチェコの一般民衆の生き様と重なり、奥深く味わい深い一本に仕上がったように思われる。繰り返しの鑑賞にも耐えられる飽きの来ない佳作。ひとみが自信をもってお薦めできる極上の一本。

「のだめカンタービレ」や「プラハの恋人」のオタクにも鑑賞させてみたいものだが如何だろうか。

 

 

☆しまひとみのギリシア旅行記☆

12/08/24(1st)

 

 

しまひとみ アテネにソクラテスを訪ねて       しまひとみのギリシア旅行記

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ソクラテス                  アカデミーのソクラテス像

エロースとアフロディテ      左後方は竪琴を持つアポロン 

 

2012年9月24日(月)~10月1日(月)の1週間

上海とパリ経由でギリシアのアテネとエギナ島を旅してきました。

まずは上海編からご覧下さい。

  [上海編]

10時間の乗り継ぎ時間。中国全土で反日暴動が勃発した時節。危険覚悟で上海中心部へ出かけるべきか否か。出かけました。

定刻通り、14時、上海浦東(プドン)空港到着。男女二人組の入国審査の係官は予想外にフレンドリー。1Fの税関内に「トランスチャイナ」という日本人用の乗り継ぎデスクが設置されていたはずなのに、影も形もありませんでした。尖閣国有化の対抗措置の一つなのでしょう。しかしこれは想定内でした。ここで深夜の乗り継ぎ便のチェックインを事前に済ませておく予定でしたが、搭乗の2時間前に3Fのチェックインカウンターに出向かざるを得なくなりました。

次にすべきは「行李寄存」という部署を探してキャリーバッグを預けること。まず荷物をX線で透視、パスポートをチェックしながら書類を作成、その後、自ら荷物を持ってカウンター右脇の通路から奥のロッカーへ移動、電子キーで施錠後、預かり証とキーを小さな封筒に入れて手渡されました。キャビン持ち込みサイズのキャリーバッグの場合、4時間まで10元(約140円)、10時間までだと15元(約210円)でした。

2Fの連絡通路を通って「磁浮(リニア)」の駅へ。往復乗車券を80元(約1120円)で購入。15:00 発の磁浮に乗車。15:10 龍陽路(ロンヤンルー)着。去年の高速鉄道の脱線転落事故の影響か最高時速は300km。磁浮乗車の感想は「飛行機並の加速だが、横揺れは新幹線より大きい」。

市内中心部の豫園を目指し、まずは龍陽路で地下鉄2号線に乗り換え。「地鉄服務中心(サービス窓口)」で50元(約700円)の「交通カード」を購入。

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交通カード      領収証      残高照会画面

左上のカードを使用して入場しようとしたもののゲートが開かない。服務中心へ戻りその旨告げる。カードを販売したさっきの若い女性係員がパソコンの画面を見ながらキーボードをカチャカチャ操作。明らかに、英語で交通カードを購入し、30元チャージしていった東洋人を日本人と見做しての嫌がらせでした。しかしこれも想定の範囲。

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2012.9.24  搭乗口に置いてありました。

尖閣問題で緊張下の東アジア一の大都会。そこにたった一人の日本人。群集心理で突発的に何が起きるかわかりません。市中では絶対に日本語のガイドブックは開けません。地下鉄の路線図と駅名と乗り換え駅をしっかり記憶して極力目立たないように行動しなければなりませんでした。それでも南京東路(ナンジンドンルー)で10号線に乗り換え、そこから一駅の豫園(ユィユァン)に30分ほどで無事到着。南京東路の人の流れは東京の地下鉄以上で、乗り換えには早足で10分以上かかりました。交通カードの残額は上海交通局の頁で照会出来るというので、試しにカードの番号を打ち込んでみると22元(約308円)残っていました。カードの保証金が20元、30元分チャージしてもらったので、乗り換えを含めて片道7駅間の地下鉄運賃は4元(約56円)、往復でも8元(約112円)と格安だったことがわかりました。

豫園で地上に出てみると、予想に反して、都会にある普通の街並みが続いていました。上海随一の名所・旧跡と謳われる豫園。さぞかし中国情緒に溢れた街並を想像していたのですが、見事に期待が裏切られました。大通りの交差点。高層アパート。通りの遥か向こうには超高層ビル。それらとは余りにも不釣り合いの中華スープや家禽の匂い。しかしこれこそが現在の上海のリアルな姿なのでした。

そこから豫園入口の上海老街までは徒歩で10分足らず。途中、何組かのアベックにシャッターを押して欲しいと中国語で話しかけられましたが悉く無視。外見からは日本人とはわからない証拠です。豫園老街は写真にもある通り、欧米からの観光客も多く活気に溢れていました。見事な彫刻が施され「豫園」と銘打たれた石造りの門が最も印象的でした。湖心亭で中国茶を愉しみ、南翔饅頭店で名物の小籠包に舌鼓を打つ算段でしたが、トラブル回避のため、食事は空港に戻ってからすることにしました。湖心亭の2階北側の窓側の席に案内され、5分ほど御品書の中国茶名とにらめっこし、ごく平凡にも「鉄観音茶」を注文しました。118元(約1652円)。お茶請には小さな干豆腐が出されました。綺麗に包装された洋菓子の包みも出されましたが、上海で洋菓子はないだろうと興ざめしてしまい、全く手を付けずに置いてきました。眼下には九曲橋の荷花池が、遥か北東の方角には外灘浦東の超高層ビル群が見渡せました。

残り6時間の乗り継ぎ時間をいかに使うか、当初、豫園で食事後、上海一の繁華街の南京東路を散策、黄浦江と外灘(バンド)で夕方の憩いの一時を過ごし、対岸の浦東新区の超高層ビル群に明かりが灯る頃、その中でも最も高い上海環球金融中心(ワールドフィナンシャルセンター)の地上百階474Mの展望台から上海市街の夜景、光の海を眺める予定でしたが、上海見物が旅の目的ではないため、安全第一、全てキャンセルして空港に戻りました。17:30に豫園湖心亭を出発、18:20には空港のロッカーからキャリーを取り出していました。

空港レストランの飲茶は美味しくありませんでしたが、豫園の小籠包はこんなものではないのだと思います。海老焼売にしても、味の素の冷凍食品の方が余程おいしいと思われました。横浜の中華街でも、乾物を多用する中華スープ独特の風味に戸惑いを覚えたことがありますが、それとは別次元の不味さでした。日本のラーメンは中華料理とは全くの別物ですが、中国からの観光客の多くが大満足して帰国すると聞きます。

中国と言えば青島ビール。今回初めて試してみましたが、これは普通に美味しかったです。空港内のレストランやカウンターバーでは青島の瓶ビールを35元(約490円)で販売していましたが、335ml入りの缶ビールを自販機で買うと、わずか8元(約112円)で買えました。余談ですが、帰国時、残ったコインを全てこの青島ビールに換えて持ち帰りました。富士山のバナジウム水を自販機で売っていたので、1本買ってパリ行の深夜便に持ち込みました。同じ搭乗口でアムステルダム行の搭乗手続きと重なったため大混雑でした。

日付が9月25日に変わり、離陸後30分ほどで食事が出されたのですが、もう休む時間だからと遠慮しました。フルーツとヨーグルトだけでもと熱心に奨められたので、マンゴーとサワーヨーグルトを頂いて休みました。朝食はオムレツ、デザートはチョコレートムースでどちらも美味しく頂きました。因みに、帰りのパリ~上海間のランチでライスを選択すると白身魚の竜田揚げの餡かけが出されました。恐らく北海産の鱈だと思いますが、ほくほくして淡泊、口に合いました。安い素材でも美味しく料理することは可能だという手本でした。エコノミーの食事は誰でも美味しく食べられることが第一です。フィンエアーのエコノミーは、トマトパスタの次がチキンのクリームパスタとかパスタ中心のメニューですが、国籍や宗教に関係なく誰でも美味しく食べられるという意味では理想的な機内食かもしれません。日本人の多い路線ではレトルトカレーでも出しておけば無難だと思います。

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         白身魚の竜田揚げ           フィンエアーのトマトパスタ

中国東方航空の評判に関して、ネットで調べるとぼろ糞の書き込みだらけです。私のフライトが幸運だったのかもしれませんが、往復とも定時運行、食事も美味しく、乗務員のサービスも満点で、マナー違反の乗客も見当たりませんでした。ただ飲み物はジュースもコーヒーも頂けませんでした。アップルジュース、防腐剤のせいでしょうか、舌にピリピリと刺激があり、嫌な渋味が残りました。コーヒーも今時こんな不味いコーヒーがあるのだろうかと思うほど不味い代物でした。中国茶を試してみましたがこれも美味しくありませんでした。赤ワインも中国製で美味しくありませんでした。行きは上海で日本の水を持ち込めたのがせめてもの幸いでした。帰りはパリのシャルル・ド・ゴール空港、ターミナル2EのL46搭乗口傍のキオスクで、チーズサンドとエビアンの1.5Lサイズのペットボトルを買って持ち込みました。セットで5€のコップ付きでした。

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この搭乗口の手前のベンチの向こう側の窓寄り、右側の写真の少し左側に小さなアップライトピアノが置かれています。私がここに着いた時、55歳位に見える男性がショパンのスケルツォの第1番を演奏中でした。演奏後、エールフランスの成田行きに搭乗されたのではないかと思うのですが、見事な演奏で同胞として誇らしい思いでした。ご本人には「ホロヴィッツのようでした」と申し上げたのですが、ピアノがプレイエルでなければ、ホロヴィッツが弾くスケルツォのようにメリハリの効いたショパンになったのではないでしょうか。最初から聴ければよかったのですが、残念ながら曲の半ばからしか聴けませんでした。

話が前後してしまいました。現在中国では、日本人は鬼だとか、いま日本へ行くと殺されるとか、実しやかに囁かれているそうですが、幸いにも、左隣の36Aに座った若い中国人女性は、私の肩に寄りかかり微かな寝息をたてて安眠してくれました。鬼の隣ではそうはいかないでしょう。ポケモンやドラえもんとともに大きくなった世代が日本を嫌う道理がありません。帰りの便で右隣の36Lに座った若い女性も終始にこやかでフレンドリーでした。

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湖心亭           浦東空港       レストランのレシート 

 

以下、上海写真編へと続きます。

 

上海編

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上海 豫園老街の入り口で櫛を商う譚木匠

 

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活気あふれる上海豫園

 

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上海 豫園老街

 

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豫園老街

 

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上海 豫園九曲橋

 

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豫園 湖心亭の荷花池

 

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上海 「豫園」

 

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上海 豫園湖心亭

 

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上海 豫園湖心亭玄関

 

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上海 豫園湖心亭で中国茶(チャー)を

 

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鉄観音茶 118元 (約¥1,600)

 

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湖心亭の内装

 

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湖心亭の照明

 

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豫園から浦東を望む

 

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上海 浦東の超高層ビル

 

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上海 龍陽路駅の磁浮

 

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上海 龍陽路駅の磁浮

 

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磁浮 Shanghai Transrapid

 

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磁浮 Shanghai Transrapid

 

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磁浮 上海龍陽路駅

 

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磁浮 上海龍陽路駅

 

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磁浮 上海龍陽路駅

 

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青島ビール 35元 (約¥500)

 

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上海蟹ミソ入り小籠包 36元 (約¥500)

 

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蝦焼売 29元 (約¥400)

 

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中国の紙幣 百元約1400円が最高紙幣

 

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上海 浦東国際空港第1ターミナル

 

日本人向けに、売店でお土産の印鑑を彫ってくれるサービスがありましたが、幾らなんでも5分では無理でしょう。売り子さんに「本当に5分でできるの?」と訊いてみたら、彼女笑ってました。

 

 

ギリシアに到着

7月のプラハも連日35℃近くの猛暑でしたが、10月間近のアテネも35℃が続きました。アテネのエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港到着後、地下鉄ホームへ降りるエスカレーターでのこと。急に乾いた猛暑の外気に触れたものだから、涙は出る、立ち眩みはするで、不覚にも、長いエスカレーターの最上部でキャリーバッグを落としてしまいました。キャリーは何度も大きく弾みながら下のホームまで転がっていきました。 EMINENT 75-58671 というキャリーバッグ 、フレームの弾力性がもの凄く、多少埃を被った程度でほぼ無傷の状態でした。

軽い、薄い、丈夫、小さいのに大容量、シンプルで美しいデザイン、方向転換にやや難はあるものの、シャルル・ド・ゴール空港のような大きな空港のターミナル移動のように、延々と直線が続くような所での使用には何の問題もありませんでした。プラハ旅行は6泊7日、アテネ旅行は7泊8日。リュックとキャリーバッグ一つだけ、着替えと必要最小限の品を携行する身軽な旅の伴。キャビン持ち込み用キャリーバッグとしては最高の逸品だと思いました。

真夏のアテネ、到着前には機内で目薬を差しておくことをお奨めします。

     エミネントのキャリーバッグ   Eminent_7558671


Egaleo 行きの地下鉄3号線に乗車して間もなく、後ろの車両からアコーディオンが聞こえてきました。ゴッドファーザー、愛のテーマです。小さい男の子と女の子。ロマの奏でるヴァイオリンのように哀愁を帯びていました。後ろに従う女の子が円筒の容れ物を差し出してきました。市内中心部までの運賃は8€。10€札でチケットを購入のため、お釣りの2€硬貨がポケットの中にありました。小遣い稼ぎ?家計の扶け?次の駅で別のペアと交代したようで、今度は男の子が空き缶を突き出してきましたが、生憎もう小銭はありません。

自動改札がないため、切符には必ず専用の刻印機で乗車日時を書き込む必要があります。抜き打ちの検札時、刻印のない切符は、理由の如何にかかわらず無賃乗車と見做され、運賃の60倍の罰金を支払うことになります。日本にない方式のため特に注意が必要でした。空港往復には8€ずつ、計16€かかりましたが、地下鉄以外にもバスとトラムで無制限に使える「ウィークリー・チケット」が14€(約1400円)とお得なため、市内観光に交通費は殆どかかりませんでした。

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ウィークリー・チケットと空港往復チケット

 

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アテネの「ラリッサ駅」

  

とても 一国の首 都の

中央駅には 見えないし、

駅の周囲には 何もない。

  

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アテネの住まい  ラリッサ駅のすぐ北側

 

コロナキのような高級住宅街でも同じアパート暮らし。

陽避けの庇も、アテネ中、全く同じ景色でした。

 

 

ギリシア編 その1「アテネ到着の夕べ」

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アクロポリスの辻音楽師  1€で演奏してくれました。

トルコのサズを改良したブズーキという民族楽器でしょうか。

中近東のような音楽に驚かされました。

 

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アクロポリスの辻音楽師2

 

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夕暮れのアクロポリス

 

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夕暮れのアクロポリス

 

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夕暮れのアクロポリス

 

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日没のアクロポリス

 

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モナスティラキ広場 右端の出店はペリプテロ

 

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モナスティラキ広場 アドリアノスの図書館

 

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アテネの葡萄(5房で2ユーロ 約200円)

 

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Air France の機内誌は KYOTO 特集

 

 

ギリシア編 その2「アカデミー辺り」

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映画“SMYRNA”の広告

 

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話題の映画が6ユーロ 約600円で

 

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2012年9月26日 アテネのアカデミー周辺で

 

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国立図書館

 

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アテネ大学

 

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アカデミー

 

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ソクラテス像

 

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プラトン像

 

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ソクラテスとプラトン像

 

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アカデミーの前庭に寝そべるアテネの犬 

 

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ストで閉鎖中の地下鉄 パネティスティミウ駅

 

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ストライキで集会を行うクラフトモノス広場

一本向こうの大通りではデモの行進

 

 

ギリシア編 その3「プラカ地区」

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アマリアス大通りからリカヴィトスの丘を望む

 

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カプニカレア教会

 

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カプニカレア教会 モザイクのイコン

 

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ロシア教会

 

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ロシア教会

 

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アドリアノス門

 

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リシュクラテス・モニュメント

 

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リシュクラテス・モニュメント

 

 

ギリシア編 その4「国立考古学博物館」

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国立考古学博物館

 

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国立考古学博物館前庭

 

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イオニア式の支柱

 

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国立考古学博物館の玄関

 

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玄関のプレート

 

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ストに連動した休館日の翌日のため無料に

通常は7€ (約¥700)

 

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4千年~5千年前のキクラデス文明の出土品

 

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キクラデス文明の出土品

 

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キクラデス文明の出土品

 

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3千年~4千年前のミケーネ文明の出土品

 

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ミケーネ文明 アガメムノンマスク

 

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ミケーネ文明 黄金のマスク

 

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本当に3千年前の画?

 

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どこかで似たようなイラストを見たような気が…

 

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線画で描くとジャン・コクトーのようにも

 

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紀元前7~5世紀 アルカイック期のクーロス像

 

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アルカイックスマイル

 

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クーロスとは青年のこと

 

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エギナ島オナタの作とされるポセイドン像

 

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美の極致として美術の教科書にも採録

 

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ポセイドンの後ろ姿

 

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ポセイドンのブロンズ像

 

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パロス島の大理石に刻まれたアフロディテ像

 

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アフロディテとエロース

 

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古代の貴婦人像

 

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      純潔の象徴 アルテミス

 

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      生涯 独身の アルテミス

 

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下半身が鳥のセイレン

 

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スフィンクス

 

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牛の頭のミノタウロス

 

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下半身はヤギの牧神パン

 

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アフロディテの息子エロース

 

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牧神パンへの奉納図 パンの隣はヘルメス

 

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馬に乗る少年も目玉の展示物のひとつ

 

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馬に乗る少年

 

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海底で見つかった馬に乗る少年

 

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2階へ

 

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中2階

 

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2階には夥しい数の壺とこんな展示物も

 

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紀元前8世紀 アッティカ地方の幾何学式の壺

 

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アッティカ地方の黒絵式の壺

 

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アッティカ地方の赤絵式の壺

 

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巨大な壺も

 

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美しいとしか言いようがありません。

 

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余りの美しさに絶句

 

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地下のカフェで喉を潤す

 

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カプチーノとチーズケーキそしてミュートスも

14.5€(約¥1,500)

 

 

ギリシア編 その5「ピレアス港&エギナ島」

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地下鉄ピレアス(港)駅

 

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アテネの海の玄関ピレアス港

 

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ヘレニック・シーウェイズのポセイドン・ヘラス

 

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ポセイドン・ヘラス

 

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アギア・トリアダ大聖堂

 

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アギア・トリアダ大聖堂

 

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アギア・トリアダ大聖堂

 

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ピレアス港サロニコス群島行き乗り場

 

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海を見つめる白髪のギリシア紳士

 

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水中翼船「フライング・ドルフィン」でエギナ島着

 

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ハイドロ・フォイル「水中翼船」

 

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エギナ島リマニ港

 

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エギナ島リマニ港

 

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海辺の果物屋さん バナナ一房1€ 約百円

 

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海辺のピスタチオ販売店

 

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エギナタウンのギリシア正教会

 

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ギリシアの95%は敬虔なギリシア正教の信徒

 

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長閑な島の風景

 

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ずらりと並ぶシーフードレストラン

 

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猫の集まるタベルナで昼食

 

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簡単明瞭なメニュー

 

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烏賊の素揚げとミュートスで昼食

 

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イカ、タコ、エビの他、米やゴマも食べるギリシア

 

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1827年~1829年の独立戦争時、この島には

ギリシアの臨時政府が置かれていた。

 

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陸に上がった漁船

 

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北緯 37、5度。 日本なら 福島第1原発辺り。

 

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2012年9月28日 気温35度。 まだまだ盛夏。

 

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支柱1本のみのコロナ遺跡 アポロン神殿

 

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エトネゲルシアス広場傍の並木道

 

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エギナ・タウンを少し離れるとピスタチオの木が

 

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美しい聖ネクタリオス修道院

 

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聖ネクタリオス修道院の祭壇

 

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聖ネクタリオス修道院の内壁

 

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聖ネクタリオス修道院の内壁

 

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ギリシア文字のΧ カイ とΡ ロー でキリストを表す。

魚は、ローマ帝国にキリスト教が禁止されていた頃、

イエス・キリストのシンボルとして使用された。

 

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しまひとみの掌にも魚が

 

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イコンとロウソク

 

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美しい聖ネクタリオス修道院

 

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ツツジの仲間だろうか 百日紅!

 

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2時間 60 € 約 6千円 で借り上げたタクシー

 

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アフェア神殿から見るエーゲ海

 

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松とピスタチオのみの荒涼殺伐とした風景

 

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アフェア神殿 ドーリア式の支柱

大理石ではなく石灰岩の支柱

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レスピーギに「ローマの松」という作品がある。

これはギリシア「エギナ島の松」。

 

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アルカイック期を代表するアフェア神殿。古代、

エギナ島は独立した都市国家として、アテネの

ライバルだったこともある。

 

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アフェア神殿のドーリア式の支柱は24本。

 

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松の木陰からアフェア神殿を望む

 

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元船員も多く日本にフレンドリーな島だった。

 

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アテネへの帰路に乗船したポセイドン・ヘラス

 

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帰路は一群の鷗と戯れる

 

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ピレアス港まで 30キロ、約65分の船旅

 

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2012年9月28日、アテネの日没は 19:12

 

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エーゲ海に沈む夕陽

 

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ピレアス港の夕陽

 

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ピレアス港の夕陽

 

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ピレアス港のギリシア人

 

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日没直後のアギア・トリアダ大聖堂

 

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日没直後のアギア・トリアダ大聖堂

 

 

ギリシア編 その6「シンタグマ広場」

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アテネの中心 シンタグマ広場

 

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1872年開業 5つ星のグランド・ブルターニュホテル

 

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国会議事堂

 

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無名戦士の墓

 

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「伏している無名の戦士のために

空の寝台が運ばれてくる」(トゥキディデス)

 

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「英雄たちにとっては、世界のすべてが

墓となりうる」(トゥキディデス)

 

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日曜日は大規模な衛兵の交代式が観られる。

 

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向かって右側の衛兵 靴のポンポンが可愛い?

 

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左側の衛兵  エヴゾナスという民族衣装で立つ

 

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無名戦士の墓を背後に寝そべるアテネの犬

 

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国会議事堂のオブジェ

 

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ヴァシリシス・ソフィアス通りの花屋

 

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ヴァシリシス・ソフィアス通りの ギリシャリクガメ

 

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国立庭園の植え込みの中から 突如 現れた

 

 

ギリシア編 その7「コロナキ&リカヴィトス」

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コロナキの街路樹  ムクゲ 木槿

 

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美しい紫の花

 

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コロナキの街路樹

 

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コロナキの書店

 

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コロナキから見たリカヴィトスの丘

 

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コロナキの猫

 

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コロナキの猫

 

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コロナキからアテネ市街を望む

 

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リカヴィトスの丘へのケーブルカー乗り場

 

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ケーブルカーを降りると 標高250m の高台

 

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標高273m  リカヴィトスの丘からの眺め

 

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リカヴィトスの丘からの眺め

 

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リカヴィトスの丘からの眺め

 

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リカヴィトスの丘からの眺め

 

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リカヴィトスの丘からの眺め

 

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パナシナイコスタジアム

 

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パルテノン神殿も眼下に見下ろす

 

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頂上には美しい白亜の建物 

ガイドブックにはないが、聖ゲオルギオス教会らしい

 

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地下鉄のエヴァンゲリスモス駅

 

 

ギリシア編 その8「モナスティラキ」

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地下鉄 モナスティラキ駅

 

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地下鉄 モナスティラキ駅

 

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地下鉄 モナスティラキ駅

 

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モナスティラキ

 

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モナスティラキ アドリアノスの図書館

 

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アドリアノスの図書館

 

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ローマン・アゴラ

 

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日時計、水時計、風見の3役を兼ねた風の神の塔

 

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風の神の塔

 

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モナスティラキで

 

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モナスティラキのレストランで昼食

 

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カフェ・レストランマイアンドロス(メアンドロス)

 

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片言の日本語で呼び込みに成功

 

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白い器はパセリ入りのマヨネーズ

 

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ギリシアビールのミュートスは定番に

 

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リゾットを野菜に詰めてオーブンで焼いた料理 超美味

 

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1865年当時のモナスティラキ

 

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モナスティラキの犬

 

 

ギリシア編 その9「古代アゴラ」

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2012年9月29日(土)  旅の締めくくりは古代アゴラ

 

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国立考古学博物館同様 無料券で

 

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最も原型を残したヘファイストス神殿

ヘファイストスの妻はアフロディテ

 

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ドーリア式の支柱

醜なるヘファイストス 美なるアフロディテ

 

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ドーリア式の支柱

 

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パルテノン神殿とほぼ同じ時代に建築された。

 

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ヘファイストス神殿とリカヴィトスの丘

 

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ヘファイストス神殿とリカヴィトスの丘

 

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古代アゴラから見たリカヴィトスの丘

 

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ヘファイストス神殿は紀元前5世紀

ソクラテスが活躍した時代の建築物

 

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ソクラテス、プラトン、アリストファネス。

2千5百年前、彼らはここで生活していた。

 

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アグリッパの音楽堂 

右端が巨人像  残り二つはトリトン像

 

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アグリッパの音楽堂 頸のない巨人像

 

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英雄の聖域   ローマのアドリアノス帝

ソクラテスも 3度出征した重装歩兵 だった。

 

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アギイ・アポストリ教会 ビザンチン様式の教会

紀元 千年頃 の創建

 

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アタロスの柱廊 古代アゴラ博物館

 

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アタロスの柱廊 古代アゴラ博物館

 

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トロス    円形の 評議員たちの詰所跡

 

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トロスの心柱の上に土鳩が

 

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何の鳥?

 

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何の花? 何の実?   Lantana camara

 

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古代アゴラから見たパルテノン神殿

 

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ブーレウテリオン 評議会の開催場所跡

 

Stoa of Zeus Eleutherios

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ゼウス・エリテリオスの柱廊

 

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ゼウス・エリテリオスの柱廊

ソクラテスが哲学論議を交わした伝説の場所

 

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ゼウス・エリテリオスの柱廊

 

☆今回の旅のベストショット☆

オリーブと松葉の橋が架かっていました。

  

12/10/17(1st)

しまひとみの映画鑑賞 3「アメリ」

 

アメリは、神経質で冷淡な元軍医とか情緒不安定な元教師など、通り一遍の人物評では到底理解しえない、かなりな変人の部類に属する両親の間に生まれた気の毒な女の子。特異な家庭環境と教育のせいで、学校に通うこともなく、空想癖のある孤独な少女になっていた。男の子を授かる祈願のためノートルダムへ年に一度の参拝中、飛び降り自殺の巻き添えとなった母親の死後、以前にも増して神経質になった父親との二人暮らしを経て成人したアメリ。モンマルトルのカフェに職を得て、真紅のベレーに身を纏い、前途洋々、嬉々として偏屈な父親のもとを巣立って行った。

カフェ・ドゥ・ムーランのマダムと従業員、そこに集まる常連客も変態とまでは言わずとも、極めて個性的な面々。それぞれに悩みや問題を抱えている。アメリは孤独だが決して自己中な人間なのではない。それどころか、人の痛みが我が事のように分かる心優しい乙女。彼女の人並み外れた空想力は、次々と人扶けのために発揮されて行く。

ある晩入浴後のこと、スリップ一枚の彼女は、ダイアナ元妃の事故死のニュースに驚いて、化粧水のキャップを落としてしまう。そのキャップが転々と転がった先に見つけたもの、それはアパートの昔の住人が少年の日に隠しておいた大切な宝箱だった。もしこの宝箱を元の持ち主の手に返すことが叶いその人に喜んでもらえたら、今度は「私も自分の殻から飛び出そう!」と心に誓うアメリなのだった。

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サンマルタン運河で水切りをすること、クレーム・ブリュレのお焦げにスプーンで穴を開けること、豆のぎっしり詰まった麻袋に手を突っ込むこと、映画を観ている人の顔を観察すること、これらはすべてアメリの密やかな愉しみであり大好きなこと。アメリは水切りをする扁平な石をどこででも見つけては、さっとポケットにしまっているでしょう。趣味とは好きなこと、気持ちのいいことをとことん極める行為なのです!

そう!この映画は趣味判断、つまり美意識の問題に貫徹された破天荒なまでにユニークな映画なのです。美学といえば学問的。しかし、性癖の問題も含め、本来美学は、好き・嫌い、気に入る・気に入らない、気持ちいい・気持ち悪いを端緒とし、快・不快、好・悪、延いては美・醜へと帰着する趣味判断を問題とする学問のことなのですよ。

「アメリ」は、アメリ・プーランというパリの下町で暮らす小柄で可愛い一人のおかっぱ頭の女性の日常生活を中心に、彼女と彼女と関わる人々の趣味や性癖を描きながら、彼らの実に多様で個性的な美意識について、細部に至るまで掘り下げた映画なのです。それだけではありませんよ。これはアメリの幸せ探しの旅路を彼女と一緒に辿る映画でもあるのです。

本編冒頭から約20分、アメリが地下鉄のホームへと降りてゆく場面。ホームの方からシャンソンの一節が聞こえてきます。「あなたがいなければとても生きてはいけない」「きっと知らずにいたでしょう」「この夢のような幸せを」「あなたの腕に抱かれると」「心が喜びで満ち溢れる」「とても生きてはいけないわ」「もしもあなたがいなければ」。それはそこで日銭を稼いでいる盲目の老人のレコードプレーヤーの音楽でした。粋な音楽に乗せて、さりげなく、この映画の真のテーマが提示されました。そしてその老人の少し向こうには4枚20フランのインスタント写真のボックスが。ニノという青年が、這いつくばって床下から何やら搔き出していました。まさに運命の人との出会いなのですが、アメリは怪訝な顔で足早に通り過ぎてしまいます。

ナレーターが二人の過去に遡り、二人は9キロ離れた場所で暮らし、少年は妹を、少女は兄をそれぞれ欲していたと解説します。あとは映画を見てのお楽しみ。

超個性的で性格美人のそこのあなた。あなたもそろそろアメリのように幸せになってはいかがですか?

縞爺も周りにアメリのような女の子がいたら、作中絵描きの爺さんのように彼女の背中を押してやると思います。

しまひとみは 、BS 238 での録画を観ながらこのレビューを書いています。NHKでも放送されたことはあるのかも知れませんが、ノーカット放送だったのでしょうか?

例えば、出産時、アメリが母親の膣口から顔を出して取り上げられるシーン。パリで同日同時刻に絶頂に達した15組のカップルの性交シーン。実はこれもアメリの空想癖の産物なのですよ!アメリが想いを寄せるニノが店番をするポルノショップのシーン。同僚の女性が覗き部屋でストリップを踊ったり、アダルトグッズの巨根ディルドをラッピングする様子とか、しっかりはっきり描かれています。しかし微塵の下品さもありません。これらをカットして放送したら、この映画の素晴らしさは半減することでしょう。

2001年のフランス映画、アカデミー外国語映画賞ノミネート作品。

文句なしの佳作、個人的にも大好きな一本。もちろん推薦作品です。しかしこの映画、映画批評には馴染みません。言語的に論評するのが難しい作品ですし、また下手な論評を拒絶してしまう作品でもあります。鑑賞の後、アメリと一緒に幸せな気持ちになればそれでいいのではないでしょうか。

縞爺も心優しき超変人の一人かもね!

 

映画紹介 アメリ    アメリ「フォトギャラリー」

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オドレイ・トトゥ                Amelie Poulain

 

                   アメリ 公式 ガイドブック

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     アメリの しあわせ アルバム

 

 

☆しまひとみの映画鑑賞1 「きっと忘れない」☆

☆しまひとみの映画鑑賞2 「コーリャ 愛のプラハ

12/10/17(1st)

 

2013年1月5日(土)

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しまひとみの映画鑑賞4 「静かなる男」 

 

ジョン・ウェイン演ずる「静かなる男」は

寡黙ながら、熱く優しい心根の持ち主

日本映画ならこの役は健さん以外あり得ない

合成映像が多いもののアイルランドの景色が素晴らしい

アイルランド民謡の「春の日の花と輝く」

実に効果的で

しまひとみの大好きな黒ビールも随所で描かれ

バリー・フィッツジェラルド演ずるミクリーンにも

終始、心和ませられる

ジョン・ウェインとモーリン・オハラの夫婦が

強欲な兄から苦労の末に引き出した持参金を

まったく惜しげなく

二人して炉の中に投げ入れるシーンは圧巻!

男勝りの大女に見えるモーリン・オハラだが

花を生け、こだわりの食器や調度を飾りつけ

ピアノを奏でながら歌う

濃やかな心情の 

それはそれは可愛いらしい女性だった

彼女の名前は

メアリー・ケイト・ダナハー

ジョン・フォード 異色の名作

 

 

2013年7月24日(水)

しまひとみの映画鑑賞5

「ホテル・ニューハンプシャー」(1984)

 

若き日の おデブな  ジョディ・フォスター

クマの着ぐるみを着た  ナスターシャ・キンスキー

この2人見るだけでも  一見の価値アリ?

 

「ガープの世界」(1982)の ジョン・アービング 原作

「トム・ジョーンズの華麗な冒険」(1963)で

アカデミー監督賞 受賞の

トニー・リチャードソンの 知られざる傑作!

夢見る夢男さんと その家族の 波乱万丈な人生史!

 

アメリカ ニューハンプシャー州

オーストリア ウィーン  

そして再び

アメリカ メーン州

 

3つの場所の

ホテル「ニューハンプシャー」で

家族の身の上に

次々と 巻き起こる 事件の数々

 

ばかばかしい と言えば

ばかばかしい のだけれど

その都度

ベリー家の家訓

「開いた窓では 立ち止まるべからず」へと

立ち返らされる!

 

人はみな

死ぬまで

善く

生きなければならない

 

古代の老賢者の箴言にも似た命題へと

循環するように   繰り返し  遡源・遡及させられる

そんな 哲学的な 佳作

 

エンディングでは

「ホフマンの舟歌」に乗せて

全ての登場人物にとって ハッピーな

ホテル・ニューハンプシャーの

理想形が 提示されて

大団円となる

 

クマも出る! 

フクロウは出ない!

ギャツビーは どこに出るの?

映画見たら わかる!

    

参考記事     

 

初出

縞爺しまひとみの「ミネルヴァの梟する」

(2013/07/18)

 

 

2013年9月4日(水)    

しまひとみの映画鑑賞6

小泉堯史 監督 「明日への遺言」  2007)

 

2010年2月17日

76歳で亡くなった

藤田まこと の 遺作映画

 

ひとりの 士  として 

生き  死んでいった

陸軍中将   岡田資(たすく)  という 人間を

見事に演じきったと 思う

藤田自身の遺作に相応しい

それは格調高い映画だった

 

黒澤明脚本の「雨あがる」(2000)

もそうだったけど

小泉堯史監督は

映画 観終わった後

「爽やかな気分」にさせてくれる!  

 

B級戦犯の軍事法廷

判決が下りて

月明かりの下

「ご機嫌よう」

穏やかな一言遺し

処刑場へ向かう

軽やかな足取りは

己自身に対して

一点の曇りなく

信念に基づいて

職分を果たし了えた

士の姿そのものだった

 

スタンリー・クレイマー監督の名作

「ニュールンベルク裁判」(1961)の

エルンスト・ヤニング(バート・ランカスター)とは

好対照の役柄・人間像!

 

「遺言」でも

演劇を勉強中の学生として登場の

長男の  岡田陽 (2009/11/26 没 )さん

爺 多少の縁  ある!

 

横浜の「人形の家」で 人形劇観て

一緒にパスタ食べた思い出ある

2皿頼んで 半分こした

確か 一皿は

バジルの良い風味の

ジェノヴェーゼだった

 

児童劇の舞台観た後

上野駅で別れた思い出もある

滋養強壮の

「すっぽんエキス買いにいく」

言ってた!

 

 

ここから 映画鑑賞6+ 

 

それはそれ これはこれで

「はだしのゲン」の残虐な描写の真偽について  

旧日本軍の「斬首」に関して

「明日への遺言」は

まさに「それ」をめぐっての裁判記録

 

岡田資中将は捕虜になった

無差別爆撃のB29の搭乗員に

斬首命令を下した

日本国内での歴史的事実

 

2013/8/22 

しまひとみの レクイエム2

藤田 まこと  さん  &  岡田 陽  さん

 

   

初出

しまひとみの「ミネルヴァの梟する

(2013/8/22 )

 

好きな絵 4 国吉康雄「馬を選ぶ」

 

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国吉康雄「馬を選ぶ」

 

道後温泉からほど近い場所にセキ美術館はあります。民営の小さな美術館ですが、大好きな加山又造の猫「凝」にも会えますし、日本画では横山大観に東山魁夷、上村松園、上村松篁、高山辰雄等、洋画では、梅原龍三郎に黒田清輝、小磯良平、藤島武ニ、藤田嗣治等の作品が所蔵されています。

私は気に入った作品が多く、2時間ほどかけてゆっくり鑑賞しました。ロダンの彫刻のコーナーも充実しており、お奨めです。

この美術館で最も気に入ったのが国吉康雄の「馬を選ぶ」。絵葉書からスキャンしました。それにしてもピクサスのスキャナーの性能には驚かされます。

    

  国吉康雄「カフェ」   

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「カフェ」は日米交流150周年記念切手にも

 

ツアーではなく、道後でゆっくり1泊できるなら、この美術館を観て、道後の地酒にきたつ(仁喜多津)直営のレストラン で食事をされるのが良いでしょう。何を頼んでも美味しいですよ!

ミシュランも脱帽した日本一の湯につかり、にきたつの大吟醸を一杯遣ると最高の道後を満喫出来るでしょう。八海山の吟醸酒に親しんでいる私が「何これ」と思ったくらいですから相当なものです。

映画好きで早めに道後に到着した際には、迷わず伊丹十三記念館を訪ねましょう。旅先で公共交通機関などと野暮なことを言ってはいけません。駅前にずらっと並んでいるタクシーにささっと乗って出かけましょう。道後から15~20分ほど、2000円以内のはずです。

松山道後でよい旅を!

 

旅色 にきたつ庵

四国一コレクションを 誇る  セキ美術館

 

好きな絵1 高塚省吾「パステル画」

好きな絵2 加山又造「猫」

好きな絵3 青木繁「輪転」

 

 

ちゃん 奈美さん お元気 ですか?

 

 

12/10/17(1st)  15/11/9(2nd) 18/10/31(3rd)

2012年12月24日 (月)

島ひとみのおろしマヨスパ

2012.9.10 (月)    2019/10/19(土)updated

ひとみさん

前にも勧めたように、リンクボタン貼ってあげるから、自分で「島ひとみのアナウンス教室」始めたら。

器量・教養ともに申し分なし。軽やかで爽やかな美声。NHKのBSニュースキャスターのエースとして、全国放送でのキャリアも十分。民放と、地方での下積みの経験まであり、アナウンス教室の主宰者として適任だと思うのですが如何ですか。

大学の講義のように、まずは20コマほどの概論を作成して公開。全国から受講者を募り、希望者の多い地域から順番に巡回して各論の講義と個人レッスン。軌道に乗ったところで東京に本部を設立、組織化。ただし、闇雲に拡張はしない。奈美さん、法さん等の先輩はじめBSニュース卒業各氏にも呼び掛けて協力を要請。タレントではなく、「きちんとニュースの出来るアナウンサー・キャスターの養成」に特化した教室を目指してはどうでしょうか。併せて、学校の放送部やアナウンス部に所属するような児童・生徒にも門戸を広げて、夢を与えてあげるような仕事をしたらいいと思います。

小学生から大学生まで、キャスターに憧れている女子は相当数にのぼると思われます。小中学生相手でも「保護者同伴」を条件に、レッスンしてあげたらどうですか。ひとみさんは「全国区」だから、教室の存在が周知されさえすれば、休みを取るのが困難なほど希望者は多いのではないでしょうか。

ひとみさんの魅力と知名度、長年かけて培ったスキルとノウハウ、そして人脈が資本なので、お金はそれ程必要ないと思いますが。たとえば、出張先ごとにレッスン場所を固定、宿泊施設と契約して、会議室で講義、部屋で個別レッスンという具合にすれば良いのでは。保護者同伴、しかも同性相手なので全然問題ないでしょう。

ひとみさん 一歩前へ!

 

2012.9.12 (水)

おろしマヨスパとは、私がそう命名したひとみさんの手抜き料理です。その「おろしマヨスパ」で検索しても「私のブログ」に繋がらないように、グーグル、ヤフー等のサイトでブロックされてしまいました。これは「憲法に保障された表現の自由を侵害する行為」に当たります。

そもそも「おろしマヨスパ」のような誰でも作れる料理に著作権など生じるはずがありません。

しかも、ひとみさんは当該番組で「パスタ」「大根おろし」「マヨネーズ」と言っただけで、その料理を「おろしマヨスパ」などとは一回も言っていません。

一般には存在しない料理名での検索、私以外には誰もその名前で検索などしない料理名をブロックするようなバカなことを要請する方も、それを受け付ける方も相当なおバカさんですね。

ブロックされるべきはもっと他にいくらでもあるだろうに。ネット上には、ひとみさんを言葉で凌辱するもの、過去のプライバシーを暴くものなど、公序良俗を侵すものが無数に存在しています。

2012.9.13 ( 木)

Yahoo! を試しに「しまひとみ」で最終頁まで検索してみたところ、最終頁の79頁目の最終行から連続する9項目が「私の頁」として割り当てられていました。

昨日まで第1ページ目に表示された項目が、一夜にして全て最終頁に貼り付けられ(磔られ)固定化されています。いや焼き付けられた(焚刑)というべきか。これでは、いくら検索しても全くヒットしないはずです。

現代の中国や冷戦時代の旧東欧諸国で行われていたような意図的な表現の規制が、2012年の現代日本社会でも実施されている実例です。

「誰かにとって気に入らないものを誰かと誰かが共謀して抹殺してしまう」 一つの証拠です。

Yahoo2012913

同日、16:27分です。つい1時間前まで Google で「島ひとみ ブログ」で検索をかけると、全32,000件の筆頭に私の「しまひとみ:しまひとみのアナウンス教室」が表示されていました。

しかしYahooで施された処置と同様、つい今しがた検索対象から除外されてしまいました。

以下は削除直前に撮影した写真です。

Google Google_2

しまひとみは、旭川の工房で丁寧に彫られた光雲の銘入りの置物の縞梟のことで、漢字では縞瞳と表記します。愛称は縞爺。私の分身として設定されたブログ用のペンネームです。映画の「ペリカン文書」で、黒人敏腕記者がダービー・ショウと一体化していくような感じでしょうか。梟は両親の北海道土産で、かれこれ25年一緒に暮らしてきただけに格別の愛着があります。元々、名前はなかったのですが、ひとみさんのNHK卒業を機に、ひとみさんのニュースキャスターとしての業績を跡付け、紹介するブログを作成することを思いつき、執筆者の男性名としても通用する縞瞳の名前を選び、そのように命名しました。

このブログには、現在セントフォースに所属する島ひとみさんの携帯ブログの更新状況を紹介する頁がありますが、ネット上で公開されている記事の項目を更新ごとに書き加えているだけで、有料で視聴する内容を紹介しているわけではありません。吉本ばななや大江健三郎の書名を刊行年ごとに並べて、それぞれに短いコメントを添える形で、自分のブログを構成したとして、何か問題があるでしょうか?

ブログに用いた写真は、同じくネット上に無数に存在するものの中で複製可能なものを借用し、ブログ記事と直接関連する範囲でのみ使用し、放送局名、番組名、そしてその殆どは放送日まで、出典として表示しています。しかも私のハイビジョン・レコーダーには全てオリジナルの放送録画があり、実際に自分が視聴したもの以外は、原則的に取り上げていません。

このブログを始めるに当たり、引用・複製に関するガイドラインを精査し、ブログ記事の作成には、細心の注意を払っているつもりです。もしこの程度の引用・複製が許されないのだとしたら、ネット上の相当多数のブログへのアクセスが同様に制限されなければならないはずなのに、公共放送の静止画や島ひとみさんの写真集を公開するサイトなども含め、何百枚、何千枚の写真を掲載するサイトが多数存在するのは甚だ不可解です。 

このブログの傍には、ブログ作成者の趣味を直截的に表現する音楽やら著作やらの紹介欄がありますが、それは商業的な効用を併せもつものです。この観点からすれば、上記、当該のブログ記事は、当該の人物並びに所属事務所の利益にも合致するはずで、今回の悪意に満ちた意図的な措置は「表現の自由を侵害する行為」と言えるでしょう。

2012.9.13(木) 22:09

goo で「おろしマヨスパ」を検索したところ、やはり最終の第11頁目、最後から連続する7項目の位置に貼り付け(磔)られていました。

「誰かにとって気に入らないものを誰かと誰かが共謀して抹殺してしまう」。古代のギリシアやユダヤで行われたのと全く同じことが、このように連綿として繰り返されてきました。

同日22:30

誰かと誰かさん。 bing  の頁は磔にしないの? まだ第1頁目に表示されてますよ。

Bing2012913

2012.9.14 (金) 3:33

私が筋道をつけたひとみさんの携帯ブログ記事へのアクセス手段を、まず私を排除し、その上でそっくりそのまま盗用しています。ご丁寧なことに、自分の会社のクレジットまで付けて。「泥棒が私が犯人ですよという張り紙を自分で自分の体に貼り付けているようなもの」です。

コンテンツが自分の会社のものだから、何か勘違いをしたのでしょう。他人が開拓したそのコンテンツへのアクセス手段を強奪して、前から自分のもののような厚かましい顔をしています。この一連の行為と手続きは、まず、憲法に保障された表現の自由を侵害して私に対して多大な精神的苦痛を与え、次に、私に帰属する知的所有権を強奪するというニ重の犯罪を犯したものです。

私が、自分の頁にリンクボタンを付けて、ひとみさんのブログ内容の更新項目一覧画面へ移動するように設計したのに対して、このタレント派遣会社は、頁なしのワンクリックで(詐欺の手口としては常套手段ですが)当該箇所へ飛んでいくような作りをしています。

通常のブログの場合、仮にこの会社の頁に相当するものを挙げるとすれば、リンク先の「更新項目一覧画面」、つまり「お散歩」とか「わくわく」とか「髪切った」とかの一覧表がそれに当たります。しかしそれは頁にはなり得ません。なぜならばその先は有料サイトであり、そこにリンクボタンを付ける意味がないからです。通常のブログなら、その頁のボタンをクリックして「お散歩」や「わくわく」などのコンテンツを閲覧することになります。 

つまり、これまでは私の頁経由で2段階のプロセスを経てそこに到達していたものを、目障りでしかない私の頁を消し去ることで、1駅通過の直通列車に置き換えたわけです。

ボタンの掛け違いならぬ「ボタンの付け間違い」を犯したのではありませんか。本来このボタンを付けるべきは、ひとみさんの「公式プロフィール」の頁でした。

私のブログ頁、厳密に言えば、私のブログ頁へのアクセスを遮断した上で、私が拵えたリンクボタンのみを「盗人猛々しく我が物顔で利用している」というのが、事の真実・真相です。

映画「インディペンデンスデイ」のエイリアンみたいなやり口ではありませんか。

これまで私の「島ひとみの携帯ブログ更新情報」は私のブログの頁名であると同時に当該の「一覧表」へのリンクボタンも同時に兼用するものでした。

下に写真を掲載しましたが、この作りを見ただけでも、誰と誰の共謀か明らかです。普通、検索サイトは、検索回数の頻度によって頁における順位・位置づけが決まる仕組みのはずですが、そのような手続きと全く関係なく、検索項目の「島ひとみの携帯ブログ更新情報」の第1頁筆頭に固定されたボタンだからです。「頁なしのワンクリック」と言ったのはそういう意味です。この「お金への入口の扉」を一人でも多くのお客さんに見せたいがために、その位置に据え付けたわけです。多くのお客さんがその一覧画面にアクセスした結果として、ポールポジションを獲得したわけではなく、無競争で、その位置にふんぞり返っていると言ったら解りやすいかもしれません。

ここまで詳しく解説した上で話の腰を折るようで遺憾ではありますが、当該の「島ひとみの携帯ブログ更新情報」は殆どお金には結びつかないはずです。理由は自明なので私の口からは申せません。ただ、他の所属タレントに対しても同様な手続きで、この「」を拵えたとすれば売り上げのアップは確実でしょう。

「ワンクリックでお金(ブログ記事の購読料)を引き出すためのへと誘う誘導装置」それが、現在 cent Force のクレジット付きで表示されている「島ひとみの携帯ブログ更新情報」の意味するところです。

このタレント派遣会社と3つの大手検索サイトのタッグ・見事なコラボレーションです。

2012914

(強奪・盗用されたブログへのアクセス手段:

ワンクリックでお客さんを誘導するために利用される。)

 

Photo

(私のブログ内「島ひとみの携帯ブログ更新情報」の頁)

 

古いバージョンを探し当てて掲載しました。画面上部の

太字の項目部分がリンクボタンになっています。

 

一昨日までは、各検索サイトの最上位でヒットした

「しまひとみ:島ひとみの携帯ブログ更新情報」のボタンから

このすぐ上に掲載したブログ頁に移動して、

太字部分のリンクボタンをクリックして初めて

ひとみさんの携帯ブログ項目一覧画面に辿りつく

という道筋でした。

 

 

もうひとつ意味を呑み込めない人は、

このページを上から全て再読の上、

事の経緯を時系列に沿って

再確認の上、

このタレント派遣会社の「ワンクリックボタン」の意味を

考えてみて下さい。

 

新聞社の方! 実名で取材に応じます。

 

訴訟になっても構いません。

十分な証拠が揃っています。

公正な裁判が行われず、敗訴しても構いません。

公判の過程で色々と

明らかになることが山のようにありますから。

些細なことに見えるかもしれませんが、

真の自由と民主主義の根幹に関わる重大事件です。

 

Yahoo    Google    goo   と cent  FORCE  の

公取法違反を含む談合・共謀による立派な犯罪です。

 

Yahoo と goo は 「最終頁の最終項目」に貼り付け、

Google は、別に設けた「ゴミ箱」の中に放り込んで

私のブログ記事が検索にかからないようにする措置を

施していました。

 

ゴミ箱の中を覗いてみて、

こんなのものと同じ扱いをされたのかと、

ほとほと情けなくなりました。

 

私のプログがヒットしても

太い青文字で表示されません。

薄墨で認められるお悔やみのような趣

死人扱いの証拠です。

そんな小細工までしています。

そういえば google のゴミ箱の中にあった

ブログ記事の項目は

全て同じ表示だったように思われます。

そうか あれは死体置き場だったのか。

どういうやり方かよくわかりました。

 

大きな組織が一人の人間を抹殺することなど

訳も造作もないと言わんばかりです。

 

大勢で殺しておいて

事が明るみになった場合には

ごく暫くの間、反省のふりをして

もうすぐペロッと舌を出して

同じことを繰り返します。

それが「いじめ」全般にあてはまる構図です。

 

この頁は「島ひとみのおろしマヨスパ」というブログ頁ですが、

「おろしマヨスパ」

「島ひとみのおろしマヨスパ」共々

私が命名した新語・造語です。

当該の時点において

私以外には、

誰も使用しない、検索しない、

誰にも検索されない言葉でした。

 

そんなものを、

わざわざ排除しようとしたことがそもそものミステイク。

その証拠を残してしまったことが第2のミステイク。

証拠隠滅が完全に行えないほど

情報が複雑大量に拡散しているという

認識がなかったのもミステイク。

 

そしてさらに最大のミステイクは

ワンクリックボタンの名称を誤ったこと。

自らの手で奪い取り、排除した

「島ひとみの携帯ブログ更新情報」を

そのまま全く形を変えず

我が物顔で、自分の利益のために使用したこと。

 

私以外には誰も検索しえない名前を付けてどうするの?

「島ひとみの携帯ブログ更新情報」は

私のブログ記事、コンテンツそのものですよ。

私の知的財産を横取りした上で

まだ使い続けているのがどうしてわからないの。

 

あなたの会社のコンテンツへ最短距離で飛ばしたいのだから

もし名付けるとしたら、

島ひとみの携帯ブログ」でしょう。

 

もう一言

どうして「ひとみさんの公式プロフィール」に

リンクボタンを付けないの?

すぐに付けてあげなさいよ。

 

島ひとみ携帯ブログ

もしくは

携帯ブログに関心のおありな方はこちらを

ぐらいの名称で

 

「島ひとみのブログ」あるいは

「島ひとみの携帯ブログ」で検索する人はいても

「島ひとみの携帯ブログ更新情報」で検索する人は

当該時点において

私以外にはありえませんでした。

 

それは、

「島ひとみの携帯ブログ更新情報」が私の造語・新語で、

私のブログ内容そのものであり、

私のブログに固有な「唯一・無二」の名称だからです。

 

島ひとみのおろしマヨスパ

島ひとみの携帯ブログ更新情報

 

ひょいっと落語を聴きに出かける ひとみさん!

「島ひとみのおろしマヨスパ」とかけてなんと解く

その心は?

 

(2012.9.15 土)

「おろしマヨスパ」と「島ひとみ ブログ」でのブロックは解除されました。

しかし、「死人扱い」の痕跡は残りました。

それも撮影して、論文とともに多くの場所に保存しました。

 

伊丹万作・伊丹十三親子の思想と業績に興味があるので

十三氏死去にまつわる噂も知っています。

アメリカを含む主要先進国で

カルト指定されている組織の仕業ではないかと見るものです。

 

伊丹万作のシナリオによる映画

阪妻主演の「無法松の一生」は、

最も美しい日本映画だと思います。

 

ひとみさん!

中学生の頃、のど自慢で

坂本冬美さんの「あばれ太鼓」を披露して

みごと優勝したそうですね。

伊丹万作の「無法松」じゃないですか!

ますます気に入りました。

 

島ひとみの携帯ブログ更新情報

 

(2012.9.16 日)

本日午後、朝日新聞東京本社社会部あて、実名にて下記のメールを送信しました。漢字の変換ミスを1か所修正してあります。

私のブログが突然主要検索サイトでブロックされてしまいました。自分なりに理由を考え、当該ブログ記事上に加筆しながら、ブロックされる正当な理由がないことを主張し、反論しました。その結果かどうかはわかりませんが、反論後、半日ほどで一旦は解除されたものの、本日の午後から、再び一部がブロックされています。

タレント派遣会社の cent Force に所属する元NHKのBSニュースキャスターの島ひとみさんの携帯ブログ記事の更新情報を紹介した「島ひとみの携帯ブログ更新情報」が、この会社が最も排除したいと考えている当該のブログ頁ではないかと思われます。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/2012/09/post-3632.html

11月2日現在の当該ブログの頁です。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/2012/11/post-3632.html

12月4日現在の当該ブログの頁です。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/2012/12/post-3632.html

弱い一個人としては、相手が余りの大企業だけに、これ以上事を大きくしていくと、生命まで狙われるのではないかという恐れもあります。しかし、自分なりの反論を試みた下記のブログ記事で問題としている検索サイト(Yahoo,Google,goo)以外にも、niftyで全く同じ処置が施されていたものですから(今しがた確認したところ、やはり最終頁に貼り付けられる形でブロックされていました。)一度、このような問題にお詳しい新聞社の方に、ご相談しようと思いメールを差し上げました。

もし私の当該ブログ記事のみならず、私のブログ全体がブロックされ、排除されなければならない程の大きな非があるとすれば、専門家として、また第三者としてその点をご指摘くだされば幸いに存じます。

しかし、こうしたことが一つでもあったということは、至る所で同じようなことが行われているのでしょうね。それでは中国と同じでしょう。

私の立場を主張したブログ記事は「島ひとみのおろしマヨスパ」です。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/2012/09/post-8542.html

補足しますが、不思議なことに bing の検索サイトでは全くブロックされませんでした。

今、Yahoo と Google を「島ひとみの携帯ブログ更新情報」で検索をかけると私の記事項目は表示されませんが、代わりに、私がブログの使用作成の契約をしている「エディオンネットのエンジョイブログ」が項目として表示され、本来あるはずの私のブログ項目の位置を代弁してくれています。

「bing の検索結果表示ページ第1頁目です」。

http://www.bing.com/search?form=QBLH&q=%E5%B3%B6%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E6%9B%B4%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1

bing の「しまひとみのおろしマヨスパ」検索頁です。

http://www.bing.com/search?q=%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97%E3%83%9E%E3%83%A8%E3%82%B9%E3%83%91&qs=n&form=QBRE&pq=%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%82%8D%E3%81%97%E3%83%9E%E3%83%A8%E3%82%B9%E3%83%91&sc=0-0&sp=-1&sk==

(2012.12.24   03:12 追記)

「同じくYahoo のページです」。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B3%B6%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E6%9B%B4%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1&fr=ysswb

「Google のページです」。

https://www.google.co.jp/search?q=%E5%B3%B6%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%90%BA%E5%B8%AF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E6%9B%B4%E6%96%B0%E6%83%85%E5%A0%B1&hl=ja 

もう一点、私と島ひとみさん、私とセント・フォースとの関係について申し上げておきますが、この会社との関係は全くありません。今年3月、島さんがNHKのBSニュースを契約終了後、会社に開封され検閲されても全く差支えないDVD入りのレターを3度、ファンレターとして恵比寿の事務所あてに送付しました。それはNHK時代から続くもので、月に1~2回、島さん担当のBSニュースを編集して、ちょっとしたコメントを添えて定期的に送ってあげていました。返事をもらったことは一度もありません。

 

(2012.9.17  月)

本日午前、ブログ管理会社 エディオンネットのエンジョイブログ に照会したところ、次のような回答がありました。一部、文章の順序の入れ替えがあります。

「本来ブログ記事が、著作権侵害等による違法行為だった場合は、各機関より弊社側へ通報が来ます。外部より弊社側へ、今回ご相談いただいております通知はございません。そのような場合には、ブログの公開停止等の対応になりますので、今回ご相談いただいております、検索から外される場合等の手続きについては、弊社側では確認がかないません。」

 

(2012.9.18  火)

メインページの  しまひとみのアナウンス教室  を

久しぶりに更新し、

その2:  真実のみを伝えること を加筆しました。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/

 

(2012.10.22 月)

久しぶりに bing で「島ひとみの携帯ブログ更新情報」を検索中

面白いものを発見。普通は目にしないものです。

連中が消し忘れた悪事の残滓でしょうか?

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/cat9011523/atom.xml

cat9011523/atom.xml (画面上の切断部分を補足)

http://cat9011523/で検索結果が表示される記事

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/cat9011523/

しまひとみの携帯ブログ更新情報

(2013/4/9 15:13)

 

 

(2012.11.3土)

また見つかりました。

http://shimahitomi.blog.enjoy.jp/newscaster/index.rdf

12/09/17(1st)