好きな店 3 神田神保町の「洋食屋」
神田神保町の洋食屋 ランチョン
ランチョンという店名は
英語で「ちょっと気取ったランチ」という意味。
初代の治彦さんが
駿河台下の一角で開業した1909年(明治42年)頃
近所に同業者がいないので
名前がなくても神田の「洋食屋」で通っていたとのこと。
そのうちに常連さんで上野の音楽学校関係者に
「名前が無いのは不便だ!ランチョンと呼ぶのはどうだ!」と
強引にも横文字で名づけられ
治彦さんは ただもう何語かも解らぬまま
ありがたく頂戴したのだそうです。
戦前・戦中、青山の旧華族、梨本宮邸傍に下宿し
東横線でジャイロコンパスを製造する会社勤めをしていた父は
給料日、恭しく後ろに立つボーイさんの給仕を受けながら
カレーライスを 食したのだとか。
緊張の冷や汗をかきながら。
普通、カレーライス 十銭 の時代、スープ付きで何と一円!
ハチ公にパンを与えたという自慢話のついでに必ず口にする話題です。
時は移ろい
私は カツサンド を黒ビールと一緒に頂きました。
奥の絵には父親の治彦さんの姿も
李白の詩にも
一杯 一杯 復一杯 というのがあります。
Wenn das Bier eingeht, geht der Mund auf.
大ジョッキのビールがだんだんと減って行き
1リットル入る マース という特大の器がちょうど空になるころ
人々はみな上機嫌で盛り上がり
口数も増え、話も相当はずんでいることでしょう。
ドイツには陶器や金属でできた蓋付き大ジョッキで
ビールを飲む習慣がありました。
現在の代表的ランチョンメニュー
オレンジページムック「おいしい東京」所収
旨い黒ビールの味を覚えたら、
日本で普通にビールと言われている
ピルスナーを飲みたいと思わなくなりました。
実は、このピルスナーの故郷はチェコなのですが、
そのチェコのプラハでも、
黒ビール1種類のみで商売している店があります。
来週、その黒ビールを飲みにプラハに行きます。
日本のビールはアルコール度数5%と低めですが、
ウ フレク の黒ビールは13%、ジョッキは0.4L 1種類のみ。
2杯飲みたいところですが、
目が回るといけないので、昼と夜、1杯ずつにします。
1杯 59コルナ、約 300円です。
石畳の迷宮のような小路を歩き、
のどが渇いたころ、
また ウ フレク に戻って1杯の黒ビールを頂く
それだけでも良い旅になりそうです。
チェコ語はできませんが、おそらく普通のチェコ人以上に
チェコの音楽が身についています。
スメタナ、ドボルザーク、ヤナーチェック
小学生の頃から聴きはじめました。
交響詩「わが祖国」と歌劇「売られた花嫁」
弦楽四重奏曲「アメリカ」、ピアノ五重奏曲、
第7・8・9番の交響曲
バイオリン協奏曲とチェロ協奏曲
「レクイエム」に「スターバト・マーテル」
「シンフォニエッタ」に「グラゴルミサ」
マーラーが故郷のチェコ・フィルを指揮して初演した
交響曲第7番なども、
一般には、難解で捉えどころがないように言われていますが、
私には、単純・素朴で美しいチェコの音楽に
世紀末ウィーンの香り付けが施された
一種のヌーベル・キュイジーヌのように思えてなりません。
プラハは美術史においても、
キュビズムの中心を成した街のひとつでした。
チェコ国歌はメロディーがことのほか美しく、
中間部では精神的にも鼓舞され、
チェコ国民でもないのに、
知らず知らず口ずさんでいることがあります。
ビロード革命直後のプラハの春では、
ハベル大統領夫妻も出席して、
アール・ヌーボーの市民会館、スメタナ・ホールで
スメタナの「わが祖国」が演奏されました。
タクトを取ったのは、亡命生活を終えて帰国した
ラファエル・クーベリックでした。
無事帰国したら、旅行記をアップします。
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